♪ 終着駅は~始発駅~ ♪
なんて鼻歌が口をついて出るが、始発ではない。お城下で開かれる三次元CAD関係の勉強会に参加のため、奈半利発高知行きの2番めを待っていた。
車ではない。ということは、夜も勉強会である。昼の部があり夜の部があり、両方セットで勉強会、もちろん、いつものようにどちらも本番だ。
そうそう、勉強会といえばきのう、瀬戸内海をわたってわたしに会いに来てくれた人たちがいた。初対面である。なんでも過日の『三方良しの公共事業推進カンファレンス2016四国』にも参加してくれていたのだそうだ。
来客、これを拒まず。これが基本的なわたしのスタンスだ。
そういうわたしとて、今までさんざん色々様々なかたたちのもとを厚かましくも訪れては、アレヤコレヤの教えを乞い、それを自分自身の環境にフィットするように「翻訳」して血肉(「土着化」)としてきた。
数多あるそれらは、わたしが受けた贈与である。贈与を受けた者には返礼の義務がある。そしてその返礼は、贈与者自身に返してチャラになるものではない。別の誰かにパスをして、はじめて「贈与と返礼のサイクル」が成り立つ。そして、晴天の一日をさいてわざわざ会いに来てくださるんだもの、とてもとても無下になどするわけにはいかない。3時間ほど、ああだこうだナンダカンダの話をさせてもらった。
それに対して、何を感じ、どう思い、どんな行動に結びつけるのか。ひとえにそれは受け手自身にかかっており、それについてのイニシアティブはまったくわたしにはない。
あらあら、なんだか突き放したような態度で申しわけない。
たしかにとてもよく勉強しているようだったし、いろいろと模索しているようにも見えた。当然である。わざわざ高知の片田舎まで、なんだかよくわからぬ辺境の土木屋に会いに来てくださるんだもの。その行動力だけでもたいしたものだ。しかしわたしは、最後までアチラさんに感情移入することはできなかった。必然、会話がグルーブすることもなかった。
どうしてか?
先方の「思い」が伝わってこなかったからである。
相対した人から何かを引き出そうとするときは、まず自らをさらけ出すことが肝要だとわたしは信じている。もちろん、初対面の相手にフルオープンでそれができるほどの人間がそれほどいるはずもなく、そこはそれ、その場そのときに応じた程度というものがあってしかるべきだろう。だが、まず自分自身を語ることを抜きにしては、結局は相対した人からたいしたものは引き出せない。
「語る」と書いた。少し補足する。自分自身ができうるかぎりの情理を尽くして「語る」ことが肝要だ。だが、なにもそれは、冗舌や多弁からでしか伝わるものではない。数少ない語彙のなかからでも、それが伝わってくる人は、たしかにいる。
『坂の上の雲』(司馬遼太郎)にこんな一節がある。
桝本は、小村の紹介状をもってフィラデルフィアへゆき、造船所の事務所でクランプ社長に会った。
「君は自分の工場になにを学ぶために入る」
と、その小柄な老人がいきなりきいた。いかにも徒手空拳からたたきあげてこの大工場主になったという経歴のもちぬしらしく、目のするどい、自負心に満ちた顔をした老人だった。
桝本はこういう、いわば哲学的な(と桝本はおもった)質問に出あうとはおもわなかったため、ちょっととまどったが、とっさに、
「私は船を造る練習にきたのではなく、船をつくられるあなたを学ぶためにきたのです」
という返答をした。この返答に、老人はひどく気に入ったらしい。桝本をわざわざ私室に招じ入れ、一時間ほど語りあった。
(『坂の上の雲(2)』司馬遼太郎、文春文庫、P.276)
桝本とは桝本卯平、日向の国(宮崎県)の出身で、小村寿太郎の書生となり、小村の薦めでアメリカに渡り、帰国後造船技師になった明治の人。もちろん、これを書いているわたしは歴史上の人物ではないし、読んでいるアナタもそうだ(失礼、たぶん)。だが、このような例は多くある。現にわたしは、たくさんのそういう人たちと出会ってきた。
エラそうな講釈をたれるつもりはない。そんな立場でもない。
はるばる海をわたりわざわざ会いに来てくださったかたたちを批判するつもりでもない。
問題はわたし自身だ。
そんな初心を忘れてはいないのか、という自戒である。
さっそく来週、今度はわたしが海を越えてとあるかたのもとへ押しかけて行こうとしている。
なぜ、ここへ来たのか。
なぜ、ここにいるのか。
何に困り何に悩んでいるのか。
自分をさらけ出すことから、また始めようと思うのだ。
と、ここまで書いて終点高知着。
調子に乗って書いていたら駅に着いたのに気づかず、駅員さんに注意されてやっとホームに降りた。
さて、勉強勉強っと (^^)/
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