答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

不覚にも ~ 『男のリズム』(池波正太郎)を読む

2017年03月04日 | 読む(たまに)観る

 

「不覚にも」という言葉がピタリとあてはまる瞬間はそうそうあるものではない。本を読んでいるさなかに、不覚にも落涙しかけるという瞬間である。徐々に感情がたかぶって涙が頬を伝うときがあるが、それは「不覚にも」とは言わない。

「不覚にも」

ついこの前も、そんな瞬間があった。

池波正太郎のエッセイ集、『男のリズム』を読んでいたときだ。

 

男のリズム (角川文庫)
池波正太郎
角川書店

 

『食べる』というそのテクストは、こんな書き出しで始まっている。

 

 つい、先ごろのことだが・・・。

 台所で茶のみばなしをしているとき、私の老母が、

「私が夢中ではたらいているころ、十日に一度は御徒町の金鮓(きんずし)へいかなきゃ、腹の虫がおさまらなかった」

などと、いい出した。

 よくよく聞いてみると、それは、子供の私と弟と祖母・曾祖母を女手ひとつに抱えて、三十をこえたばかりの母がはたらいていたころのことになるらしい。

(Kindle版位置No.464)

 

当時の池波家は貧乏のまっ最中で、正太郎氏も旧姓小学校を出てすぐ、十三歳から働きに出たという。ある日のこと、勤め先の株式仲買店へあいさつに来た母は、女性用の雨傘ではなく、働いている先の大きな番傘をさしていた。

 

母が女持ちの傘を買うより、むしろ鮓をつまむことへ、乏しい財布の口をひらいたことがわかろうというものだ。

 

著者は、母が当時抱いていたであろう気分をそう解説する。

わたしの身のうえに、「不覚にも」が訪れたのはその少し後段だ。

 

 だが、何のたのしみもなしに、長い年月をはたらいているだけでは、油が切れてしまう。

 十日に一度、おもいきって、ひとりきりで大好物の鮓をつまむ。それで、はたらく甲斐も出て来る。また十日たつと、金鮨へ来て、好物の赤貝のヒモやらマグロの鮓などを腹中へ入れることができる。

「ああ、おいしい・・・・」

 と、食べ終わって、大きな茶わんになみなみとくみこまれた香ばしい茶をすすりながら、おそらく母は、まるで、気楽な女の独り暮らしをしてでもいるかのような充実感をおぼえたことであろう。

 そこへ、子供の私と舎弟がくっついていたのでは、まったく打(ぶ)ちこわしてしまう。

 逃げ切れぬ現実の世界によびもどされて、鮓の味までちがってきたろう。

 まず、このように、十日に一度、好物の鮨をつまむことだけでも、人間というものは苦しみを乗り切って行けるものなのだ。

 つきつめて行くと、人間の〔幸福〕とは、このようなものでしかないのである。

 (Kindle版位置No.495)

 

太字の箇所を読んだとき、それはやって来た。

それが、一族郎党を養うために懸命にはたらく子持ちの独身女性の境遇に見をつまされてなのか、それとも、自分自身の体験のどこかに置き換えてなのか、はたまた正太郎氏の文章の美しさから来たものなのか、たぶんどちらでもあってどちらでもないのだろう。

そんなときに自分の心理を解析するなどしても、何ほどのことがあろう。

「不覚にも」という事実は事実として、そっとしておけばよい。

そんなこともまた、「読む」をつづける楽しみのひとつではあるのだから。

 

男のリズム (角川文庫)
池波正太郎
角川書店

 

 

 

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