答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

お祀りする

2016年04月30日 | 土木の仕事

 

 

小島のお地蔵さんに「おまつり」をする。

とんとご無沙汰なのだからエラそうなことを言えた義理ではないのだが、わたしのなかでは、折にふれて「おまつり」をするように努めている。 


国道493号沿いにあるこの地蔵尊を「おまつり」するようになったのは2011年、台風6号災害の応急復旧に取り組んでいたときからだ。

ここ小島地区の復旧工事は3ヶ月の期間中でつごう6度の崩壊に見まわれ、すんでのところで何名もが命を拾ったりしたあげく、ようやっと完成にまでこぎつけたという経緯があったのだが、たぶんその2度目が起きたあとからだったと記憶している。

ふと、思うところがあったのだ。

神仏にすがったわけではない(お地蔵さんは神でも仏でもないという説もありますが、それはこの場合些末なことです)。ましてや信仰でもない。

地球を相手にするわたしたちの仕事では、工事現場に責任を持つものは、スピリチュアルなものを大切にする気持ちを持たなければならないし、なおかつそれを現場ではたらく人たちに見せなければならないのではないだろうかとそのとき思ったのだ。危険な現場ではなおさらそれが必要なのではないかと気がついたのだ。

山の仕事を営みとする人たちが信仰心に厚いのは、そんなところからも来ているのではないだろうか。

彼らほどではないにしても、土木という仕事をする人たちの多くもまた、霊的なものへの畏怖を持ちつづけてきた。にもかかわらず、そんななかに居てわたしは、まったくと言っていいほど信仰心のない人で、のみならずそれを広言してはばからないような男だった。

そんな人間が変わろうとしたのはそこからである。

山や川、土や岩やを相手にしていると、わかっているようでいてなんだかよくわからないことも多い。その制約を克服して工事を完成させることに土木の仕事の醍醐味があり、面白さもつらさもあるのだが、「なんだかよくわからないこと」に対する怖れのようなもの、つまり地球に対する畏怖の念を忘れてしまってはならないとわたしは思う。

 

そうだね。大切なのはひとりひとりの「心」なんだ。「信心」ってのは、さっきもいったように「なにか特別な存在を信じる心」をもつこと。(『日本のもと 神さま』中沢新一監修、講談社、P.100)

 

「なんだかよくわからないことへの畏怖」と「なにか特別な存在を信じる心」は、わたしのなかでたぶん同じだ。

これを読んでいる同業のアナタがもし、かつてのわたしのように「信心がない」と言ってはばからない人だとしよう。いや、口には出さずともそう思っている人だとしよう。まずはカタチからでもいい。現場で作業をする人へのパフォーマンスとしてでもいい。手始めに身近にあるスピリチュアルなものを積極的に「お祀り」してみることをオススメする。

不思議なことに、やっているうちに「なにか特別な存在を信じる心」が、そこはかとなくめばえてくるものだ。

今も「信心がない」と広言してはばからないわたしが言うのだから、まちがいない。

 

「オマエそりゃトシだよ、トシ」

 

そう笑われれば、黙ってボウズ頭をボリボリと掻くしかないが。

 

 

日本のもと 神さま

中沢新一監修

講談社

 

 

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