答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

わからないから(けど)やる ~元ネタ~

2016年02月03日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

きのうの稿、オリジナルな知見でもなんでもない。元はといえば受け売りだ。

もちろんそれを忘れたわけではなく、元ネタがあることを自覚はしているのだが、何度も同じことを書いていると、ついつい出典を無視してしまうことがある。いけねえいけねえ。

ということで、元ネタをきちんと引用しておく(ついでに少し補足も書いておきますネ)。

ご存知、『「わからない」という方法』(橋本治、集英社新書)である。

 

 

「わからない」という方法 (集英社新書)

橋本治

 

 

 「わからない」は、思索のスタート地点である。そこから始めればこそ、「わからない」は思索の「方法」となる。「わからないからやーめた」であきらめれば、そこは挫折のゴールである。「わからない」が「方法」になるかどうかは、それを「方法」として採用するかどうかの、決断にかかっているのである。(P.13)

 

 「わからない=恥」 ー誰もがこの日本人的な美意識に従ってしまうとどうなるか?「ぐずぐずしているだけでなにも始まらない」という、いたって日本人的な膠着状態が出現する。しかも日本人はずるいから、そのぐずぐずしているだけの自分達のていたらくを肯定するために、生贄さえをも選び出す。みんなが「わからないからやらない」という「恥」の美意識の中でぐずぐずしていると、ここに時として、「じゃ俺がやる」というおっちょこちょいが飛び出したりもする。これが生け贄である。

 「わからないからやらない」派は、自分達の保守的な美意識が正しいことを示さんがために、「やめておけ」などという消極的な制止の声を出すが、「わからないけどやる」のおっちょこちょいは、その声を聞かない。聞かぬまま、果たして失敗をしてしまうのである。その結果に対して、保守派の断定するところが、「ほーら、言ったじゃないか」とか「そーれ見ろ」であるのはもちろんである。

 かくして、「わからない=恥」を前提とする、「わからないからやらない」という日本人的な美意識は確固としてしまうのだが、この予定調和的な「なんにもしない状況」は、どのようにすれば打破できるのか?結局のところ、「バカと言われることを顧(かえり)みない度胸」だけが、二十世紀病に冒された日本社会の膠着を突破するのである。

(P.26~27)

 

 

うん、何度読んでもおもしろい。

「バカと言われることを顧みない度胸」もないくせに、「じゃ俺がやるというおっちょこちょい」なオジさんは、身につまされて涙が出るほどおもしろい。

もちろん、リスクを回避するために「わからないからやらない」という選択をしなければならないことが往々にしてあることはわたしとて承知している。組織の場合ならなおさらだ。

だが、だからこそ、「わからないからやらない」ではなく「わからないからやる」。百万の知識を頭に入れても、「わからない」ことが「わかる」ようにはならない。「わかったような気がする」だけである。現場での実践(つまり「やる」)は、結局のところいつだって、完璧に「わかった」ところからは始まらないのだ。

だとすれば現場人たるもの、「わからないからやる」「わからないけどやる」を基本的な方法として採用しておいたほうがいいと、わたしはそう思う。
 

 

 

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