答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

というわけで、教えるときに必要なものは「おせっかい」と「忍耐力」なのです。(内田樹)

2016年01月29日 | 読む(たまに)観る

 

困難な成熟
クリエーター情報なし
夜間飛行

 

 

人にものを教えるための適性とは何か。(P.303)

 

「おせっかい」と「忍耐力」です。(P.304)

 

 勘違いしている人が多いので、確認しておきますけれど、教育の受益者は「本人」ではありません。

 共同体そのものです。

 だから、「おせっかい」な人が出てくるのです。あれは道楽でやっているわけじゃありません。「共同体を生き延びさせるため」に必死でやっているわけです。自分のところの共同体が生き延びてくれないとさきざき「自分自身も困る」ことがわかっているからしかたなく「おせっかい」をしているのです。(P.315)

 

 教える人間に必要なのは「待つ力」です。

 待つといっても半端じゃない長さです。5年や10年待ってもさっぱり教えた甲斐がないということもあります。しばしばあります。

 そういう場合「教える仕事」はもうひとりでは担えません。(P.318)

 

 自分が目の黒いうちに結果を出そうと焦ってはいけない。

 自分ひとりで何とかしようとしてはいけない。

 自分の採用した教育方法ではぜんぜん効果がなかったけれど、他の人がやったらめざましい成果が上がった、ということもあります。(P.319)

 

 というわけで、教えるときに必要なものは「おせっかい」と「忍耐力」なのです。この二つの気質は、よく考えると相反するものです。(P.320)

 

 この二つの傾向のうちに「引き裂かれてある」こと。

 それが「教える」という仕事が人間に求めることです。

 これを受け容れることのできる人が「教える資格」のある人です。

 それ以外には「教える」ためのノウハウも、秘訣も存在しません。(P.321)



うんうん、そうだそうだと、涙がチョチョ切れんばかりにうなずいてしまうわたし。

とはいいつつも、適性として持ち合わせていることが必要か否かという意味からいけば、「おせっかい」については必要不可欠だろうが、「忍耐力」が適性としてあるかどうかについては、必ずしもそうとばかりも言えないのではないか、という気がする。

「教える」という行為を繰り返していくそのなかで、これはよっぽど長いスパンで考えなければならんぞ、と気づき、そのなかでは自分の存在なぞ部分的にしか過ぎない場合も多々あるのだと承知し、そのうえでなお「おせっかい」をしようとする。そうやって「教える」という営為をつづけていくうちに「忍耐力」を身につけていく。それでもよいのではないだろうか、という気がするのだ。


いずれにしても、

というわけで、教えるときに必要なものは「おせっかい」と「忍耐力」なのです。

という説に深く深く同意することに違いはない。

そんなわたし、生来「おせっかい」であることは自覚しているが「忍耐力」には疑問符をつけざるを得ない。だが、「忍耐力」はイマイチでも「相反する二つの気質」が必要だということはいつも感じている。

であれば、とりあえず「資格」だけはあるかな。

いや、「ある」。

ということにしておこう。

 

 

 

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