答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

夜明けを見るためには夜が明けるまで生き延びることが必要です(内田樹)

2016年01月24日 | 読む(たまに)観る

「数十年に一度の大寒波」という予報に恐れをなして、本日行う予定の柚子畑の施肥を早々とあきらめた。

フェイスブックを見ていると、各地から雪の便りが続々と届く。西日本のそれは特にひどいようだ。九州の知り合いが雪だるまを作っているのを見て、「ええ年したおっさんが・・・」と独りごちたすぐあとで、オレもたぶんやるんだろうなと思い、ついつい笑ってしまう。

ここ高知県東部は幸い降ってない。畑仕事をやろうと思えば何の問題もなくできるのだ。だが、なんたって大寒波なのである。コタツで丸くなって一日を過ごすことにした。なんのことはない、単なる怠け者だ。

だが、いかに怠けたオヤジとて、いかに丸くなって一日を過ごすとはいえ、あまりに怠惰に流されるのもどうだろう。とりあえず大まかなミッションを決めた。内田樹を読み、子どもたちの太鼓曲をつくる。そして夕方になれば、子ども向けの太鼓教室とそのあと自分たちの太鼓の稽古(けっこう盛りだくさんじゃないか)。

まずはこれ。

 

困難な成熟
内田樹
夜間飛行

 

内田節絶好調。久々に、アタリである。

 

 

 誰が報われ、誰が罰されるかはランダムなんですから、今現在「義人が苦しみ、悪人がのさばっている」としても、それが未来永劫続くということはありません。絶対にありません。必ず、ひっくり返るときがくる。

 そのときまで生き延びる。

 明けない夜はない。

 でも、夜明けを見るためには夜が明けるまで生き延びることが必要です。

 そのためには「私は運がいい」というふうに自分に言い聞かせる必要があります。

 そうでも思わないとやってられないからです。そうでも思わないとやってられないくらい厳しい状況をなお生き延びるための「方便」として「運」という言葉があるのです。(P.166~P.167)

 

 

賢明な方はお気づきのように、わたしのなかでこのテクストの引用は、きのうの拙稿とリンクしている。

書き手には申し訳ないが、本を読むという行為は、読み手の想いから完全にかけ離れては成り立たない。密接にからみ合って存在するといったほうが正しいか。書き手の意図がどうあれ、そのときその場の読み手の生活や考えとリンクしてしまわざるを得ないのだ。

そういう意味で、「夜明けを見るためには夜が明けるまで生き延びることが必要です」というセンテンスは、今日のわたしの腑のなかにストンと落ちてグッとくる。

 

 

 危機的なときほど楽観的にならなくてはならない。

 悲痛な顔をして、自分の不幸を嘆いてみせる人は、実は自分の状態をほんとうに危機的だとはとらえていないのです。

 どんなときでも「それでも、オレは運がいいほうだよ」というふうに言える人は客観的な記述をしているわけではありません。むろん、多幸症の患者でもありません。

 生き延びなければならないということを本気で考えている人です。(P.168)

 

 

うん、どこをどう考えてもオレは運がいいほうだ。少なくとも、この仕事を生業にし始めてからは運がいい。そしてそれは何も、今突然思ったことでもない。今までずっと思ってきたことだ。いや正しくは、今までずっとそう思うように努めてきた。今もまた、そうだ。


さてと・・・・

どうやら「丸くなって過ごす」時間のリミットが近づいてきたようだ。

書を置いて、子ども太鼓教室へと行くとするか。



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