答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。(内田樹)

2016年01月21日 | 読む(たまに)観る

 

困難な成熟
内田樹
夜間飛行

 

 

私たちが責任について思考できることは、ひとつだけです。

どうすれば「責任を取る」ことを求められるような立場に立たないか、ということ、それだけです。

勘違いしてもらっては困りますが、それは何についても「私は知らない。私は関与していない。私には責任がない」という言い訳を用意して、逃げ出すということではありません。まるで、逆です。

(P.23)

 

きちんと機能している社会、安全で、そこそこ豊かで、みんながルールをだいたい守っている社会に住みながら、かつ「責任を取ることを人から求められないで済む」生き方をしようと思ったら、やることはひとつしかありません。

それは「オレが責任をもつよ」という言葉を言うことです。

(P.24)

 

集団構成員の全員が人を差し置いてまで「オレが責任を取るよ」と言う社会では、「誰かが責任を取らなければならないような事故やミス」が起きても、「誰の責任だ」と言うような議論は誰もしません。そんな話題には誰も時間を割かない。だって、みんなその「ひどいこと」について、自分にも責任の一端があったと感じるからに決まっているからです。

(P.25)

 

責任というのは、誰にも取ることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。というのは、「責任を引き受けます」と宣言する人間が多ければ多いほど、「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は逓減してゆくからです。

(P.25~26)

 

 

恥ずかしながら白状してしまうと、不覚にも胸が詰まり、込み上げるものあり。何を思ってか、何を思い出してかは言わない。「秘すれば花、秘せずは花なるべからず」だ(とかナントカかっこつけてみたが、これほど日々晒しつづけておいて「秘すれば」も何もないもんだ (-_-;))。器用そうに見えてこれでもけっこう不器用なんです、とだけ書いておこう。

というのはさておいて、わたしにとっては久びさの内田本だ。帯には「14歳から読みたい自由と勇気の本」と書いてある。かくいうわたしは辺境の土木屋58歳。「14歳から」だったら、上はいくつでもいいじゃないかと、ボチボチ読み始めるのだ。

(引用文の太字注釈はアタシの独断ですので悪しからず)

 

 

 

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