答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

文脈(コンテクスト)

2015年12月24日 | 読む(たまに)観る

『「俺は聞いてない!」と怒りだす人たち』(榎本博明)を読んでみる。

Amazonで本のタイトルを目にして、「ん?オレか?」と気になり購入したものだ。よくよく考えてみると、いやそれほど深く考えないでも、タイトルに釣られてしまったことは瞭然としている。「でも、ま、いいか」。ボリボリとボウズ頭を掻きつつ読み始める。

四分の一ほど読み進めたところで、「コンテクスト」というキーワードに引っかかってしまった。

 

 文化人類学者ホールは、コミュニケーションがうまく機能するには「コンテクスト」を考慮する必要があるとした。コンテクストとは、文脈のことである。(Kindle版、位置No.536)

 

「暗黙の了解」「以心伝心」「察し合い」「遠回しな言い方」が多用されるのも、日本人が高コンテクストのコミュニケーションが流通する文化だからといえる。欧米人がはっきり言葉に出さないと通じ合えないのをみて煩わしく思うのも、日本のような高コンテクスト文化でははっきり言わなくても汲み取ってもらえるからである。

 低コンテクストのコミュニケーションが中心の文化では、ものの見方・考え方、習慣などが多様で、共通部分が少なく、コンテクストがあまり機能しないため、意思の疎通のためにははっきりと言語で伝える必要がある。(同548)

 

「オレの目を見ろ、何にも言うな」(※)的な世界が大好きな人であるわたしはしかし、こと仕事、特にチームで行うわたしたちの仕事に関しては、はっきりと言語化して表さなければならないと断言する人でもある。「はっきり言わなくても汲み取ってもらえるから」的な方法(いわゆる「暗黙の了解」「以心伝心」「察し合い」)を好んで採用する人がいたとすれば、じつのところそれは大いなる誤解なのだ。多くの場合それは、「わかっている」「わかってもらっている」「わかりあえている」という思い込みに過ぎない。

可能な限り言語化して伝える。それなくして、「土木の仕事」が上手くいくはずはないと、わたしは信じている。情理を尽くして語ろう(伝えろう)とせずして、チームはチーム足り得ない。

だが、いくら言語化して意見や方向性を表明したとしても、皆が皆、言語明瞭であるはずもなく、その言わんとするところは勘違いされて伝わることも多い(だから「見える化」なんですが、ここでは置いときますネ)。そこで大切となるのが文脈を読み取るチカラである。 

「文脈のうえで理解しようとしない人だなあ」

折りにふれ、そんなことをしみじみと感じることがある。文脈を理解しようとせず、目先耳先の単語やセンテンスにのみ反応しながら会話をする人は、「日本のような高コンテクスト文化」のなかで暮らしていても少なくない。

他人の「言葉」だけをひとり歩きさせて、自分の腹に入れようとしてはならない。「言葉」は、文脈のなかで使われるからこそ「言葉」である。思い込みをできるだけ排除して、文脈を読み取ったうえで意味を理解しようとしなければ、「言葉」の意味はつかめない。

そういう意味からいけば、欧米だから低コンテクストで、日本人だから高コンテクストだと、わたしは思わない。コミュニケーションをうまく機能させるためにはすべからく、コンテクスト(文脈)を考慮することが肝要なのである。

 

 

「俺は聞いてない!」と怒りだす人たち (朝日新書)

榎本博明著

朝日新聞出版 

 

 

兄弟仁義(きょうだいじんぎ)は1965年3月10日に北島三郎が発売したシングルレコードおよび、それを主題歌として1966年4月23日東映で公開された日本映画である。

(Wikipedia-兄弟仁義-より)

 

 

 

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