答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『〈凡庸〉という悪魔』(藤井聡)を読む

2015年11月15日 | 読む(たまに)観る

 

〈凡庸〉という悪魔 (犀の教室)
藤井聡著
晶文社

 

冒頭、「平凡と凡庸は似て非なるもの」という小題で「平凡」と「凡庸」の違いを説明している。

いわく、

 

「平凡」という言葉があります。

 これは、どこにでもよく目にする、月並みな、ということを意味します。(略)場合によっては平凡という言葉は、「良い意味」「美徳」を帯びることもあります。

 一方で、この平凡と似た言葉である「凡庸」という言葉がありますが、この言葉には「良い」というニュアンスが全く含まれていません。それはただ単に平凡というだけではなく、「陳腐さ」や「つまらなさ」というニュアンスを含んでいます。

(P.013)

 

その「凡庸さ」が生みだすのが巨大な悪、すなわち「全体主義」で、全体主義についてはこう定義している。

 

 ところで、こうしたドイツやソ連における全体主義の歴史を踏まえれば、全体主義は独裁的な「国家」において成立するものと、広く共有認識されてしまっているように思います。しかし、全体主義というものが、「『兎に角、全体に従うべし』という考え方、およびそれに基づく社会的現象」である以上、それは必然的に、国家以外のあらゆる集団や組織においても立ち現われます。例えば、日常的な会議でも、どんな会社やクラスでも、はては個人的な「仲良しグループ」の中でも、そこに人間達が構成する集団や組織がある限りにおいて、常に生じ得ます。

 そうした全体主義の汎用性を理解する上で「空気」という言葉は一つの重要なキーワードとなります。

 例えば、全体主義の定義を「兎に角、全体に従うべしという空気」と言い換えてみると、あらゆる文脈に全体主義が潜み得るものであることが理解し易いのではないかと思います。

(P.017)

 

 第1部『全体主義とは何か』でその全体主義について解説し、第2部『21世紀の全体主義-日本社会の病理構造』では、


現代人の多くが「当たり前」のものとして感じているものの中に、実にたくさんの「全体主義」と「テロル」が潜んでいる

(P.110)


ことを、「いじめ」、「改革」、「新自由主義」、「グローバリズム」、「大阪都構想」のそれぞれから読み解いていく。

 

読もう読もうと思いながら何ヶ月も積ん読していた本。やっとこさ読了。

 

 あなたの身の回りにいる上司や部下、同僚や仲間の中には、あるいは、あなたがメディアを通して見聞きする言論人やタレントや政治家達の中には、ただただ空気を読み、空気に合わせて動き回るだけの、凡庸な悪魔が潜んでいるのかもしれません。

 彼らは一見まともな理屈を語ることがあります。彼らは一瞬、人間の心があるかのように振る舞う事があります。泣いたり笑ったり、叫んだり微笑することもあります。

 しかし、彼らは決して心で物事を考え、真摯に理屈を述べているのでも、あなたに親切に接しているのでもありません。

 彼らは本当に空っぽなのです。そして彼らを動かしているのは、彼らの心なのではなく、この社会を覆い尽くしている「空気」なのです。

(P.275~276)

 

う~ん

わたしにとっては、怖さで身震いするような恐ろしい本でした。

読み終わって、ちょっと憂鬱・・・。

 

 

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