答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「相手はもう受け入れていない形式的なヒエラルキーの権威を振りかざしたらどうなるか?」(冷泉彰彦)

2015年08月25日 | 読む(たまに)観る

 

「上から目線」の時代 (講談社現代新書)
冷泉彰彦
講談社

 

自分自身が相手に対するとき、「上から目線」になってないか。そんなことが近ごろ時々気になるのだ。

とは言いつつも、「教え教えられ」という関係では、「上から目線」も仕方がないだろう、とも思っている。

それについての冷泉さんの考えはこうだ。

 

 上司のほうは昔から使っていた「部下への注意・指導」のつもりで、叱責をしたとしても、受け取る部下のほうが「パワハラ」であるとか「モラハラ」だと思っていては、メッセージが伝わらないどころか、深刻なコミュニケーション不全が起きてしまう。それ以前に、人間関係が悪化するだろう、

 どうしてそうなったのかということについては、「いまどきの若いヤツは甘やかされていて、叱られたことなないからこらえ性がない」というような説明がされることが多い。だが、これも違う。社会の価値観の変化が会社の内部にまで及ぶ中で、上司が部下を叱る際の、会話のテンプレートが無効になってきている、その影響が大きいのだ。(位置No.801)

 

たしかにそれは言えてるかもしれない、と半分納得しつつ、「でもないだろう」と首をひねる。

 

 コンフリクトが炙り出され、もはや「空気」を使った調和のコミュニケーションは機能しない。そんな状況では利害対立が鮮明となる。にもかかわらず、上司だから、専門家だから、年長者だからと、相手はもう受け入れていない形式的なヒエラルキーの権威を振りかざしたらどうなるか?相手にはより深い嫌悪感が残るだけだ。自分の利害には敵対しているのに、自分を含めた関係性の中でもう壊れてしまったはずの権威を振りかざしてくる、そんな相手の姿勢はまさに「上から目線」というわけだ。(No.990)

 

「何らかのコンフリクトが発生」→「話しあいの前提となる価値観が共有できない」→「にもかかわらず一方が他方をヒエラルキーの力で押し切ろうとする」→「押し切られた側に見下されたという被害感が発生」

多くの場合、こうしたサイクルに入ることで、「共有されていない」ヒエラルキーの「上」から発言した人物は「上から目線」だという批判を浴びる、その時点でほとんどコミュニケーションは破綻している。(No.1605)

 

 親分肌とか、厳しい上司というキャラで売ってきたにしても、まず一歩下がってみるのだ。そして目上はもちろん、目下であっても相手を立ててみる。そして何とか自然な、そして相互に心地良い会話の空間を作るのだ。あらゆるコンフリクトは、そうしてみてはじめて解決へと向かうだろう。(No.2702)

 

うん、そうだ。

何をしたいのか。何を優先させたいのか。

コミュニケーションを機能させたいのであれば、コンフリクトを解決したいのであれば、まず「相互に心地良い会話の空間を作る」のに腐心するべきだろう。そしてそれはたぶん、「上」からのアプローチがなければ成立しない。

もちろんそのアプローチは、「ヒエラルキーの力で押し切ろうとする」ことでは断じてない。いや、その場かぎりでよければそれもよし。だが、それが「形式的なヒエラルキーの権威を振りかざ」すだけで終わってしまえば、何にもならないどころか、問題はよりいっそう複雑化し深刻化する。


少なくとも、そういった考えをいつも意識下に置いておくのは悪いことではないわな。

てなことなどを考えながら、『「上から目線」の時代』(冷泉彰彦)を読む。

 



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