答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『「上から目線」の時代』(冷泉彰彦)を読む

2015年08月24日 | 読む(たまに)観る

「上から目線」の時代 (講談社現代新書)

冷泉彰彦

講談社

 

 

クマの保護にしても、靖国問題にしても、放射線の危険性でも何でもよいが、価値観に基づく論争というのは、どうしても「断言」を伴う。まして、相手が自分の価値観とは異なることが分かり、「それは間違っている」と義憤にかられて、相手の価値観を自分のそれに服従させようと攻撃モード全開になってしまうと、発言内容のほとんどが「断言口調」になっていくのだ。お互いがお互いの言い方に「上から目線」を感じて反発し、会話が平行線になる背景には、この言葉の問題、断言口調の問題がある。(位置No.2055)

 

このくだり、読んでて思わず、ニヤニヤと笑ってしまう。まさしく、かつてのわたしそのものだからである。いや、今でも折にふれて出ているのかもしれない(出てますよネ、まちがいなく)。

「相手の価値観を自分のそれに服従させようと攻撃モード全開になって」「断言口調」で口角泡を飛ばしている自分を思い浮かべ、可笑しくてしかたがなかったのだ。

さらに、著者はこうつづける。

 

 さらに細かなものとしては、漢語と和語、カタカナ語の関係も、上下関係を作りやすい。それも、場合によっては「難しくて分かりにくい」概念語のほうが会話の中では「上」のポジションを取りやすいのだ。

 たとえば、「蓋然性」は「可能性」より意味の微妙な違いは別にして「強い」言葉であり、上下ということでは「上」になりやすい。「可能性」は「確からしさ」より上であり、同じようなニュアンスを和語で「どうもそうらしい」と表現すると、上下関係としては「下」になってくる。

 同じように「アカウンタビリティー」は「きちんと説明する」より「上」であり、「リスクマネジメント」や「危機管理」は「非常事態に対処する」より「上」になる。

 こうした漢語やカタカナの概念語というのも、論争の際や利害が衝突する中では、相手の概念語が「偉そうに」聞こえてどうしても腹立たしいことになるからだ。(位置No.2067)

 

今度は照れ笑いだ。これもまた、大いに思い当たるフシがある。まったく無自覚ならいざ知らず、半ば意識しながらカタカナ語や漢語を使うことがよくあるのだ。

それは、自分自身にとっては、明確に「上」になろうとする意識ではないにしても、「上」のポジションを取りやすいことは、経験的に承知しながら使っている。まったくいけ好かないオヤジではある。

ただ、こと「土木の仕事」においては、わかりやすく伝えなければならない相手に対しては和語を中心として、専門家同士の会話ではできるだけ和語を排して漢語やカタカナ語による専門用語を散りばめて、というのは、はっきりとした意識を持って使い分けているし、若い人たちには、そうするように言ってもきた。 

だが、より良いコミュニケーションを図りながらコラボレーションしよう、という、「土木という仕事」を生業にしていく上で、すべてに通底するわたしの目的からすれば、どうなのだろう。それが、いらぬコンフリクトを生みだすだけのものだとしたら、少しく考えを改める必要があるかもしれない。

(って、思いっきり使ってますやん・・・^^;)

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

 

 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加