答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「柳は緑で花は紅。ともに素晴らしい。べつに比較はしないけど、なんか文句あるか」(玄侑宗久)

2015年07月17日 | 読む(たまに)観る

 

禅的生活 (ちくま新書)
玄侑宗久
筑摩書房

 

「ひのさんのブログを読んでいるとまさに禅だなぁと思うのです。」というコメントをくれたのは”もよ”さん。

「なんといっていいか・・・コメントのしようがありません。修業しなおしてまいります!」と返したわたし。

だから、というわけでもないのだが、玄侑宗久さんの『禅的生活』(筑摩書房)を読む。

3分の1ほど読み進んだところで、強く印象に残った文章がこれだ。

 

「柳は緑 花は紅 真面目」

(略)

これこそが、まさに価値判断をやめた人の眼に映った世界の代表と云えるだろう。

 余談だが、この場合の「花」とはおそらく桃の花であることを申し添えておく。柳は柳として青々と勢いよく新芽を吹き、桃は桃でその真面目である無邪気な紅の花を咲かせているというのだ。

 いったいなんのこっちゃ、と思われるかもしれないが、本来柳と花は比較のしようがない。比較しないままになんの判断もせずに世界を受け容れた結果がこの風景なのである。

 まだ解りにくいだろうから、人間に喩えてみよう。たとえば山田君は優しくて田中君は仕事ができるとする。「優しさ」と「仕事のでき具合」は本来全く別の価値基準なのだが、二人は一緒に行動することが多いから事あるごとに比較される。その結果、さまざまな「場」によって田中君の敏捷さが誉められたり山田君の心配りが誉められたりする。誉める場合はともかくも、なんらかの基準で見比べる限り優劣が判定される。むろん片方がけなされることにもなる。あらゆる「場」には価値基準がつきものだからである。

 しかし人間のもつ本来的な価値は「場」のもつ価値基準とは関係ない。そのことが心底分かると、「山田君は優しくて田中君は仕事ができる」という認識がすらっとできるのである。

(略)

 要するに住することのない心には、対象の佳さがそのままストンと飛び込んでくるということだ。柳は緑で花は紅。ともに素晴らしい。べつに比較はしないけど、なんか文句あるか、ということなのだ。(位置No.986~1004)

 

う~ん。

 

人間のもつ本来的な価値は「場」のもつ価値基準とは関係ない

それがわかると、

対象の佳さがそのままストンと飛び込んでくる

それが

柳は緑、花は紅、真面目

(略)

なんか文句あるか

 

かくありたいと思うわたしだが、現実のわたしは、とうていそんなレベルにはない。

哀しいかな、ぜんぜん「禅」ではないのである。


(しかもオヤジギャグやし、とほっ ^^;) 



禅的生活 (ちくま新書)

玄侑宗久

筑摩書房

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加