答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

三方良しの公共事業推進カンファレンス in 福岡「見聞記」(その3)

2015年06月23日 | 三方良しの公共事業

 

事例発表「その1」と「その2」のあと、ボウズ頭をグリグリなでながら土佐の高知からやって来たオジさんが、のらりくらりと与太話をしたあとの4例目は、発注者さんと施工業者さんのペアだった。

発注者を代表して発表してくれたかたには申しわけない。間違いなくいい取り組みには違いないのだが、「フムフムなるほどね」というぐらいにしかわたしには届かなかった。一方、施工業者の若い技術屋さんのプレゼンテーションはどうだったか。言葉の一つひとつが、というか彼の「想い」が、私の心のなかにグイグイと届いてきた。

 

何故だろう?

 

「愛である」


というフレーズが思い浮かび、「おいおい、そりゃあんまり胡散臭いんじゃないか」と別のわたしが止めたのだが、わたしはやはりそう結論づけたい。


「愛である」


自分が携わった仕事とそれにかかわってくれた人たちへの、自分自身の想いを率直に語る若者の心持ちを、くどいようだが、わたしはあえてこう表現したい。


「愛である」


自らの現場を自分自身の言葉で語ることなしに、「私と私の環境」たる「私」は救えないのだと、君も貴女も私も彼も、皆んながそう認識しなければならないと、自分自身の仕事を語ることが、なんだかとてもうれしそうな彼を見て、あらためてそう思うオジさんなのだった。

そのあとの中洲の夜、彼と話すことができた。聴けばいろんなことがあったという。さもありなん、と思う。かくいうわたしとて、こうやって「晒し」の場に我が身を置きつつも、「言えない」あるいは「書けない」ことはゴマンとある。あたりまえだ。世の中そうそう単純ではない。

だが、「言えない」でも「言いたい」やっぱり「言えない」、という葛藤のなかから物語を紡ぎだすそのプロセスこそがたいせつなのであって、そのめんどくささを経るからこそ、自分の現場への想いが、受け手に伝わるのだとわたしは思う。

そしてその発表の終わり間際、彼が引用したのは、ナント、宮本常一。

(し、しぶい・・・しぶすぎる)(※)。

 

いい仕事をしてひとに褒められた時くらい嬉しいものはない。しかし、褒められなくても自分の気のすむような仕事はしたいものだ。

 

その言葉を聴きながら、「お若いの、なかなかやるやないの」と独りごち、ふむふむとうなずく私なのだった。

 

 

 

 

その事例発表からさかのぼること数時間前、わたしが発表者の控え席に着くやいなや、うしろから「どうも!」と声をかけてくれた人がいた。


「Iです」

(ん・・・どこのどなたの関係だ?)

(とりあえず愛想笑いしながら)

「あ、どうも」

と答えるわたし。

間髪入れず、

「頭でわかりました」

と笑顔の彼。

(ほ、ほっといてんか!)

いぶかしげな気持ちを抑えつつ名刺を見ると、その姓名には見覚えがある。

 

「ああ・・・・」

思わず万感胸に迫るわたし。

 

わたしがブログを書き始める前からその人のブログを読み、ブログを書き始めてからも読み、こんなふうに仕事と関われたら素敵だなとひそかに憧憬の念を抱いていた人である。

どこでこの人のことを知ったのか、しかとは覚えてない。だが、どういうツテなのかは、わたしのなかで確かだ。浅草の桃知さんを中心とするつながり、いわゆる「薄くて広い紐帯(ウィークタイ)」である。

念願の、そして思いもかけぬ出会いに、やたらとテンションが上ってしまったわたしはしかし、ドウドウと自分自身を落ち着かせながら、その夜は当然のように、「仕事」やその他もろもろについて熱く語り、かつグイグイと呑んだ。

途中、そういえば・・・と気づいて質問。

 

「彼に宮本常一を教えたのはひょっとして・・・」

「そうです。私が読んでみたら、ってすすめたんですよ」

(ははあ、な~るほどね、とうなずきまた焼酎をグビリ)

 

4番めの事例発表者たる若者の上司こそ彼であり、そして彼は、今回のプログラムにわたしの名前を見つけ、わたしと会うのを楽しみに福岡にいらっしゃったという。なんとも涙がちょちょ切れそうなありがたい話ではないか。


いやあ~、これだから、渡る世間はやめられんのだわ。

 

 

庶民の発見 (講談社学術文庫)

宮本常一

講談社

 

 

宮本常一『庶民の発見』より

石工たちは川の中で仕事をしていたが、立って見ていると、仕事をやめて一やすみするために上ってきた。私はそこで石のつみ方やかせぎにあるく範囲などきいてみた。はなしてくれる石工の言葉には、いくつも私の心をうつようなものがあった。

 「金をほしうてやる仕事だが決していい仕事ではない。・・・泣くにも泣けぬつらいことがある。子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい。田舎をあるいていて何でもない見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もいないのに・・・」と。(P.24~25)

 

 「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような・・・・・。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」。(P.25)

 

 

(※)宮本常一(Wikipediaより)

山口県周防大島生まれ。大阪府立天王寺師範学校(現大阪教育大学)専攻科卒業。 学生時代に柳田國男の研究に関心を示し、その後渋沢敬三に見込まれて本格的に民俗学の研究を行うようになった。 1930年代から1981年に亡くなるまで、生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続け(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)、膨大な記録を残した。 宮本の民俗学は非常に幅が広く、中でも生活用具や技術に関心を寄せ、民具学という新たな領域を築いた。

 

 

 

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