答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

正しさ

2015年05月18日 | ちょっと考えたこと

ときとして、絶対的に「正しい」と思えることが局地的にみて必ずしも「正しい」とはかぎらない。

「正しい」と言い張ることが、もしくは、おのれの正しさを証明することに固執することが、「正しいオジさん」の在りようとして「正しい」かどうか、単純な正悪では判じきれないときもある。

「わかっちゃいるけど・・・・・」と独りごち、例の言葉を思い出す。

 

If I wasn't hard,I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle,I wouldn't deserve to be alive.

男はハードでなければ生きていけない

ジェントルでなければ生きていくに値しない。

(by フィリップ・マーロウ)

 

言わずもがなのことながら、この場合「ハードかつジェントル」という条件が存立していることに意味がある。

もひとつ言わずもがなのことをあえて言ってみると、「ハードかつジェントル」な人間にとって、こんな言葉は意味がない。

だが、ハードにもジェントルにもなりきれず、ましてや「ハードかつジェントル」なぞおぼつかないオジさんにとっては、じつに趣きのある言葉だ。

「正しいオジさん」たり得る判断基準は、「正しい」か「正しくない」か(に固執すること)では(たぶん)なく、その場そのときに優先されるべきことは何かを考えて判断する。

彼我の力関係が「強い」と「弱い」の場合は、おのれの「正しさ」を拠り所にしてファイトすることもいい。

しかし、「彼」が「弱く」、「我」が「強い」ときには、おのずから、自制する気持ちが働かなければウソである。

そんなとき、くだんの言葉を独りごちてみる。

その場合「男」とは、誰がナント言おうと、「正しいオジさん」の置き換えである。

これこそが、「正しいオジさん」の「正しい」在りようなんではなかろうかと、近ごろそんなふうに思うのだ。

 

 

 

 

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