答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

学ぼうという意欲

2015年04月28日 | 読む(たまに)観る

 学ぼうという意欲がなければ、

「かばん持ち」という仕事は、単に「かばんを持つ」という仕事。

しかし、学ぼうという意欲があれば、

「かばん持ち」は、一人の優れた人物から、様々なレベルの知性の在り方を学び、

その垂直統合の在り方を学ぶ「最高の仕事」。

(『知性を磨く~「スーパージェネラリスト」の時代~』、田坂広志、光文社、位置No.2001中1787)


ときに、その師匠は、

「出入りの業者」と呼ばれる人々の中に、いるかもしれない。

そうした、しなやかな心の姿勢を持つとき、

「私淑すべき師匠」はどこにでもいることに気がつく。

いずれ、我々の人生は、

「人との出会い」によって、決まる。

しかし、その「出会い」は、ただ偶然に与えられるものではない。

(同1792)


これに深く深く同意する私は、同じようなことを何度も何度もここで書いてきた。

受け取る側が思い込みさえすれば、いつでもどこでも学びは起動するという、例の張良と黄石公の逸話を引いてである。

 

世の中には偶然の産物というやつがたしかにある。

多くの出会いもまた、偶然に導かれたものである。

僥倖、とさえいえるものもなかにはある。

それをして、すべからく必然の所産なのだという態度は、いささか不遜に過ぎると私は思う。

しかし、そこから学びが起動する「出会い」は偶然に与えられるものなどではけっしてない。

たとえもしそれが、偶然(がキッカケ)であったとしても、必然にするのは誰あろう、自分自身に他ならないのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「そんな人、好きになれない」と書いた舌の根も乾かぬ翌日、「深く深く同意する」という、一見支離滅裂。

とりあえず、「汝、今でも学ぼうという意欲ありやなしや」とあらためて自分自身に問いかけて、備忘としてここに記しておきたかったのである。

ということは明日も・・・・・

あるかもしれんのだわネ ^^;

 

 

知性を磨く~「スーパージェネラリスト」の時代~ (光文社新書)

田坂広志

光文社

 

日本辺境論 (新潮新書)

内田樹

新潮社 



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