答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

自分は変えられる、か?

2015年03月24日 | ちょっと考えたこと

「いい言葉、教えましょうか?」

「ん?どんなん?」

「いいですか、過去と他人は変えられない」

「・・・・」

「未来と自分は変えられる」

「君のためにピッタリの言葉やないの」

「そうなんですよ~。けどそれが変えられんのですよね~」

 (ふたりとも爆笑)

 

某月某日、某氏との会話である。

 

過去を変えることはできない。

だが、他人はどうだろう。

「変えられない」とは思わないが、

「変えてやろう」としても「変わる」ものではなく、

できるのは「変わるように」と働きかけながら接するぐらいのことでしかない。

変わ(ろうとす)る主体は、あくまでも当事者たる本人でしかないからだ。

 

自分を変えることはできる。

だが、未来はどうだろう。

「未来は変えられる」とは、いささか不遜な心の持ちようだと私は思う。

「変えた未来」と「変わらなかった未来」がどう違うかなど、誰も正確にはわからないし、

もし「変わった」としても、自分がどこにどれだけコミットメントしてそういう結果となったのかは、わからない。

してみると、確かなのは、「自分を変えることはできる」ということだけだ。

 

「なぜ変わる必要があるんですか?」

「変わることなんかないよ」

 

「(私は)変わらなければならない」という私の宣言に対して、以前よくそういう反応をされたことがある。 

「変わる」という言葉そのものに対して、ドラスティックなものを想像し、拒否反応を示す人はよくいるものだ。

だが、私の言わんとするところの「変わる」は、漸進的なものである。

そもそも人というやつは、それほど簡単に「変わることができる」ものではない。

自身をかたちづくっている根っこのところは、なかなか「変えられない」ものである。

肝要なところは、

「変わろうとする」

「変わりつづけようとする」

 その姿勢にこそあると私は思うのだ。

 その心持ちがあるかぎり、「自分は変えられる」。

ただ、よしんば、「変わることができた」として、それは、「わかった」というゴールが次の「わからない」へのスタート地点であると同じように、「変わる」の通過点にしか過ぎない。

少なくとも私は、そういう心持ちを持ちつづけて漸進していきたい。

 

某月某日、某氏との会話のあと、オジさんはあらためてそう思ったのである。

 

 

 

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