答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

怒りを我慢するということについて

2014年12月24日 | ちょっと考えたこと

N賞を受賞した人がいった、

「怒りがすべてのモチベーションです」

などという言葉には同意しかねるが、

私、よく「怒る」人には違いがない。

いやよく「怒る」人だったというべきか。

他人さまにはどう思われているのか知らないが、

少なくとも以前よりは「怒り」という感情を発露しなくなったと自分では思っているからである。

かといって「怒る」ことがなくなったかといえばさにあらず、

あい変わらず私、「怒る」人には違いない。

つまり、我慢をするようになったと、こういうことなのだろうと自分では認識している。

だが、「怒り」を我慢しているときの私の顔は、

明らかに怒っているか、そうでなくても不機嫌きわまりない顔になっているはずで、

その顔に相対している人がどう思うか、

少なくとも好意的にはとらないだろうことは誰が考えてもわかることなのである。

とはいえ、当の本人はそのことに気づかず、

「我慢しているんだからいいじゃないか」とかたく信じている。

まことに難儀な話ではあるが、

まず「怒り」があり、その「怒り」はなんでもかでも発露したらよいというもんではないよという抑制があり、

だからして我慢という行為があるのだから仕方がない。

と、そんな日々を過ごす毎日、

つい先日も、思わずカッとなり、イカンイカンと我慢をしていると、

(仕事でではないですよ、家でもない、念のため)

その何日か前に読んだ本の、こんな一節を思い出した。

 

「怒りをコントロールする、とは「我慢する」ことですよね?そうではなく、怒りという感情を使わないで済む方法を学びましょう。怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり、道具なのですから。(『嫌われる勇気』(Kindle版、位置No.1304/3760)

 

そう言われても雲をつかむような話ではあるが、

「我慢をしてりゃあいいってもんじゃないな」

と、これまでとは違う感情が沸きあがってきたのも事実である。

とはいいつつ今の今でも、「怒り」をコントロールするのが正しい大人の在りようだとは思っているが、

たしかにそう言われてみれば、「怒りという感情を使わない」というのも有りだな、とも思う。


もうちょっと考えつづけてみたいのであるな。

 

 

  

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