答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

山中をうろうろしながら「経験」について考えた

2014年08月27日 | ちょっと考えたこと(仕事編)


毎日日にちアチラコチラへうろうろする日々がつづいている。

久しく行ったことがなかった場所へ赴くことも多々ある。

ウン十年にわたり当地で土木という仕事をやってきた身なれば、

アチラコチラのどこにでも、某かの記憶が残っているものである。

ここの仕事をやったのは、たしかアノ砂防工事のあとで、

この次はモネの庭へ行き、

あそうそう、その間にアレをやったんだったよなたしか、

とかなんとか頭のなかでつなげてみると、

やはり何だかんだ言ってはみても、「経験」こそがこの仕事にとって肝要なのだとあらためて思う。

体験ではない。「経験」である。

体験は誰でもできるが、それを「経験」にする、つまり身体に入れて血肉とするのは、

のんべんだらりと時間を過ごしていてはでき得ないことなのだと、かねてより私は思っている。

10年の体験が20年分の「経験」になる人もいれば、

その逆に、10年の歳月をかけて5年分しか血肉にできない人もいる。

だから体験が智恵として身体に染みこんだもの、それこそを「経験」と私は呼びたい。

そしてその「経験」と、それを原資とした引き出しの数あるいはヴァリエーション、

そのうえで醸成される、いわゆる「勘」、

これらが土木という仕事を生業にしていくうえで、最大かつ最強の武器となるのである。


とかなんとかエラそうに講釈を垂れている私だが、

いついかなるときでも臨戦態勢をとっているはずもなく、

怠惰な時に流されることがないではない。

(ていうかしょっちゅうだ)

だから、

山中をうろうろしながら考えたことを書き留めてみた。

自戒を込めて。

 

 

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