答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

大渋滞

2014年05月22日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

私たちは制度に振り回される立場なのだと、今さらながら考えさせられる今日このごろ。

もちろん今に始まったことではなく、

公共の仕事をしている(つまりお役所が相手である)以上、いたし方のないことだと割りきっているつもりではある。

制度が変わることで恩恵を受けることもあれば、そうでないときもある。

だから、それに対応することで勝ち残っていこうと、そう思い日々を生きてはいる。

(もちろんそれは、「三方良しの公共事業」の旗振り役たる私とは別ですネ)

だが、いかな心持ちを持とうと、時として現実は厳しい。

公式発表をされてないので具体的な内容は書かないが、

今回もまた、そんな場面に遭遇した。

一昨日のことである。

で、翌朝。

高知県安芸郡北川村大字長山字田上の空を見て、気分を立て直す。

浮かんだのは、こんな文章だった。

 

さて羽生善治が提示した高速道路論の難問とは、「素晴らしい高速道路はできたものの、高速道路を走り抜けた先には、「大渋滞」が待っているぞ、そんな時代に我々はどう生きればいいのか」であった。私なりに何年間か考え続けて出した結論は、次の通りである。

・・・大渋滞の存在にかかわらず、自分が好きなことについて目の前に高速道路が広がっているのだから、とにかく行けるところまで突っ走ってみよう。そして仮に大渋滞に差し掛かったら、その専門をさらに突き詰めて大渋滞を抜けようとするか(「高く険しい道」)、そこで高速道路を降りて、身につけた専門性を活かしつつも個としての総合力をもっと活かした柔軟な生き方をするか(道標もなく人道がついていない山中を行くという意味で「けものみち」と呼ぶ)、そのときに選べばいいじゃないか。

(『ウェブ時代をゆく-いかに働き、いかに学ぶか』、梅田望夫、P.100~101)


なんにしても「大渋滞」はある。

公共土木であれ、あるいは他の仕事であれ、「ある」という意味においてそれはたぶん同じなのだ。

高知県の公共土木という狭い世界に限っていえば、私(たち)は「学習の高速道路」に乗った。

乗ったことによって、先行者メリットも享受できたし、なんとかそこそこなレベルになったのも間違いない(少なくとも外見上は)。

考えてみれば、「大渋滞」に遭遇できるのは、そこまで行った人間にだけ与えられるご褒美かもしれないのである。

 

「知の高速道路」を大渋滞まで疾走して一芸に秀でる経験は、のほほんと生きている多くの人たちに対して、絶対的な競争力を持つはずだ。そう信ずることだ。(梅田、P.101)

 

うん、たしかにそりゃそうだ。

「どうせ・・・・・・」などという、斜に構えた姿勢からは当の昔に決別したはずである。

だいいちそう信じぬと、

つまらないぢゃあないか、ねえ。

 

 

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