答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

環境から自己へ自己からまた環境へ、という循環について

2014年05月11日 | 読む(たまに)観る

 

岡山での「現場プレゼンテーション勉強会」を終え、

19時から始まる懇親会という名の二次会が待ちきれず、

フライング ・・・なのか、

ウォーミングアップなのか、

とにかくひと息入れながら、今回の旅のお供『大衆社会の処方箋』(藤井聡・羽鳥剛史著、北樹出版)を読んでいた。

 

「生のプロジェクト」とは、そもそも環境からの働きかけによって自己が規定され、その自己がまた環境に働きかけるという循環をもってして展開していくものである。(P.55)

 

今日の勉強会に参加者したかたたちがどうかはわからないが、

発表者の、少なくとも半数ぐらいは、意識的にせよ無意識的にせよ、この理(ことわり)がわかって日々の業務に勤しんでいるのではないか。

このくだりを読んで、そう思ったのである。

言わずもがなのことではあるが、言わなければ勘違いされそうなので言っておくと、

「生のプロジェクト」とは「なまのプロジェクト」ではなく、「生=生きる」という意味での「生のプロジェクト」。

藤井さんは、その前段でこう定義している。

 

 さて、こうした見方に拠れば、人々は皆、それぞれ何かしらの「生のプロジェクト」を実践している、ということとなる。

 そんな「生のプロジェクト」の中には、厳しい「環境」に置かれながらもその状況を受け入れ、常に「自己」を克服して、事態を打開していく勇ましいものもあろう。一方で安楽な環境に置かれ、現状の「自己」に慢心しきったまま、何ら努力を為さない怠惰な「生のプロジェクト」もあろう。(P.49~50)

 

もちろん、「私は前者である」などとは、口が裂けても言えないような日々を生きる私ではある。

だが後者でないことだけは、少なくともただ今のところ、断言できる。

「私たちのやり方が良いのか悪いのか、じつのところそれはよくわかりませんが、これを機会に情報交換をしていきましょう」

そう呼びかけた私に、さっそく何人か反応してくれたかたがいた。

 

環境からの働きかけによって自己が規定され、その自己がまた環境に働きかけるという循環

 

そんな私に、この言葉が響いたのは、そりゃまあ当然といえば当然。

「うん、仰るとおり」と言うなり、

スーパードライを呑み干したのである。


大衆社会の処方箋―実学としての社会哲学(叢書 新文明学1)

藤井聡、羽鳥剛史

北樹出版


 

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