答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

その理由を今のところ君は知らない。でも、いずれ知ることになる ー『内田樹による内田樹』を読む

2014年02月24日 | 読む(たまに)観る

内田樹による内田樹

内田樹著

140B刊


この世には、その書物は「自分宛ての私信」だと思い込むことによってはじめてその深奥を開示するテクストというのが存在します。(P.94)

 

コンテンツは理解できなくても、自分が宛て先であることはわかる。メッセージの意味はわからなくても、そのメッセージが自分宛てであることはわかる。そういうコミュニケーションというのはありうると思うのです。ありうると思うどころか、そういうコミュニケーションこそがあらゆるコミュニケーションの基礎にあるもの、(P.95)

 

「このメッセージは私に向けられたという自覚(という名の勘違い)」と、折にふれては言う私だ。

「へ~、ワシと似たような考えなんや」と一瞬思いかけて、すぐに「いやいや。。。^^;」と苦笑い。

このことを教えてくれたのは、他ならぬ内田先生だったのである。


私にとっての「このメッセージ」とはこれ。


『桃論ー中小建設業IT化サバイバル論』

 

ごくごくざっくりと言ってしまうとそれは、「情報を発信せよ」というメッセージなのだが、

有り体に白状すると、そのメッセージを受信して「やらねばならぬのだ」と「勘違い」した私が、

その後いつだったか内田さんのテクストを読み、「これやこれ、これやがな」と、当時の心持ちにピタリと当てはまる言葉を、そのときまさにその言葉が降りてきたかのように後付けしたに過ぎない。

 

もちろん、

あの内田樹が、かのレヴィナスを読んで「意味がまったくわからなかった」というのと、

この私が、『桃論』を読んだときの「大まかには理解した(つもり)。だが、よくわからんところがたくさんある」というのとでは、まったくレベルが違うのだろうとは思う。

だが、ここでまた内田先生を引用させてもらうと、

 

いきなり襟首をつかまれて、がんがん揺らされたような気がしました。「この本に何が書いてあるか、君にはわかるまい。わからなくて当然だ。でも、君はこの本に書いてあることがわかるような人間にならなければならない。どうして、『これがわかるような人間』にならなければならないのか、その理由を今のところ君は知らない。でも、いずれ知ることになる。」たぶん、僕が最初のレヴィナスのテクストとの出会いのときに受け取ったのはそういうようなメッセージでした。(P.95)

 

と、これまた後付けに過ぎぬにしても、(たぶん)本質的にはこれと同じだったのだと、深く頷きながら、

またぞろこの受け売りを自分の言葉のようにしゃべる私を想像して、苦笑。

いつかどこかでそんな私を見かけたら、どうか笑って見逃してほしい。


とかなんとか、さわりだけ読みかけて積んどいた『内田樹による内田樹』(内田樹、140B)を読みながら、

そんなことを考えていたきのう、2月最後の日曜日。

なんとはなしに空気の質感が変ったような。。。

 

 

 

 

 


 
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