答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

カイカク

2014年01月12日 | 三方良しの公共事業

Facebookで、藤井聡さんが雑誌『表現者』1月号に載せた記事を、さわりだけ読む。

(さわりの画像しかなかったのですネ)


 【あらゆる会議を席巻しつつある改革派】

 第一に、改革案は常に、極めてシンプルだ、というものがある。「現状には問題がある、なんとかしなきゃいかん」「○○理論によればこうだ」「○○ではこの改革で上手くいった」云々。こういう意見を聞く度に、気の抜けたコカコーラや冷え切ったハンバーガーを口にしたような、何とも言えない平板な気持ちになる。一方で、反改革論は常に複雑だ。「現状には問題があるかも知れないが様々な良い面がある、改革案にも良い点だけではなく、様々なデメリットがあり、しかもその有効性すら未だ確証されたものではない、だからそれらを『総合』すると、改革案の断行は控えるべきだー」、これが一般的な改革反対論の構造なのだが、こういう論理を理解するためには「総合的に判断する」という、かなりの認知的負荷を要する作業が必要となる

 つまり、あっさり言ってその論理は常に「複雑」なのだ。そして、この「複雑さ」故に、会議ではどうしても「反改革論」は十分な力を持ち得ないのである。

 第二に、「複雑なことが理解できない人の方が声が大きい」というおぞましき構図がある。要するに、複雑なことが分からない「認知的複雑性」を著しく欠落させている人々は、・・・

(『表現者』1月号、ジョルダン、『おぞましき現代日本の「全体主義物語」を』藤井聡)(太字宮内)

 


この文章に共感する私は、皆さんご存知のように、三方良しの公共事業”改革”の旗振り役である。

そしてその私が属する会社という組織は、三方良しの公共事業”改革”のフラッグシップ的存在であるという、過分な惹句を冠せられることもある。

(あくまでも他人さまのおっしゃることです ^^;)

ということはつまり、好むと好まざるにかかわらず、”改革”の旗手と、そういうことになっているのだろうか。

しかしながら私は、諸氏のご期待に添えず誠に申し訳ないのだが、この”改革”という言葉を使うのが好きではない。

安易に使うべきではないと考えている、といったほうが良いだろうか。


3ヶ月ほど前、とある会合(仕事とも会社とも関係ありません、念のため)で、

旧来のやり方を踏襲しようと(しごく控えめに)提案した(つもりの)私は、

「改革や!」「改革をせないかん!」「改革するべきだ!」

という、声が大きな幾人かが発する単純な言葉にゲンナリとしてしまい、以後ピタッと押し黙ったまま会合を終える、ということがあった。

「文句があるなら闘えよ」と、別の私が頭の上から私を嘲笑うのであるが、戦闘意欲はゼロ。

「もうええわ」と心を閉ざしてしまったのである。

「何事にもオープンマインドで臨むべし」と他人さまには言うくせをしてざまあないのだが、己の実存を賭けてファイトする事柄でも相手でもなく、ただただ押し黙ってしまった私。その時の心象は複雑だ。

なぜならば、「カイカクカイカクと一つ覚えを繰り返していた人たちの主張にも一定の道理がないではない、だが・・・・・」てな感じだったからである。

 

そういえば、私が所属するところの「三方良しの公共事業推進研究会」。その名称に”改革”という文字はない。

その設立の会で、ネーミングをどうしようかという話しの中、とある参加者からこういう意見が出たからである。

 「”改革”っていうフレーズに対して、建設業界の人たちはマイナスイメージを持っている」

「”改革”のおかげで疲弊している、という声を聞くんです」

 結果、”改革”がその名称から外れてしまったのだが、その時の私の考えはこうである。

「改革はええことやろ?」

「ええことをやるのに、なんで改革という名称がいかんの?」

「改革を外したら骨抜きになってしまうぜよ」

時は平成20年、「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズが登場するのはこの2年後。

この後の政権交代を云々する人は沢山いて、確かにトドメを刺したという意味ではそれは決定的だったのであるが、このあたりで既に建設業者は青息吐息となっていた。

その認識は当然私にもあったのだが、「改革=変わる=善」という単純な思い込みに陥っていたのである。


あれから6年近く、

期せずして、三方良しの公共事業”改革”の旗振り役になってしまった私である。

しかし今の私は、この”改革”という言葉を安易に使うべきではないと考えている。

言葉は生きものでありブーメランである。

「改革すなわち善なのだ」という思い込みを前提にして語られる”改革”という言葉を安易に使い続けていると、心と脳みそが単純化し、どんどんと蝕まれていくような気がする。

「改革=善=進化」。

単純にそう思い込むのは非常に危険な考えだし、

カイカクカイカクとお題目を唱えていればイイ、というものではない。

来し方の反省をしつつそう思う、今現在の私なのである。

 

 

 

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