答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「状況としての”男は黙ってサッポロビール”批判、そして”笠智衆”だって闘わないといけない」論、を聴く

2014年01月02日 | 土木の仕事

 

正月なので少々長めの稿を記してみる。

(といってもそのほとんどが「聞き書き」。なもんで時間だけはかかっている)

土木チャンネル』からである。

築土構木の思想』である。

藤井聡×中野剛志『築土構木の社会科学その1(土木バッシング論)』、

ワタクシ的に勝手に名前をつけさせてもらえば、「状況としての”男は黙ってサッポロビール”(※1)批判、そして”笠智衆”だって闘わないといけない」論である。

 

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(前略)

 

中野:土木の先生方、お気の毒な感じがして面白かったんですけど、要は皆さんとてもマジメで、立派な橋とか立派な道路、安全な建造物をつくって、社会や地域の事を考えるということをマジメに積み重ねる。

もちろん「土木叩き」とか公共投資批判についてはヤリ過ぎだとは思っているんですけど、マジメに研究して立派な橋を造れば、そういう悪しき誤解のような偏見のようなものも払拭できるだろうと、だから「まずはマジメに自分の仕事をやろうよ」という感じでやっておられるんで、「もしもしそれじゃあダメですよ」とお声がけしているんです。

大体叩いている人っていうのはフマジメで、つまりフマジメというのには二通りあって、ひとつはよく知ろうとしないで叩いている、もう一つはなにか意図を持って、つまり悪意を持って叩いているので、そういった人たちには誠実な態度で押し返そうとしたって無理で、まあ、やられっぱなしなんですね。

従って、マジメに自分の研究だけやってるということだけではなくて、世の中こうなった以上仕方がないんで、もうちょっと色んな工夫をして議論をしていったほうがいいんじゃないかねえ、という感じは率直にありましたね。


藤井:そうですね。いわゆる「男は黙ってサッポロビール」みたいな、黙っとけば上手く行くみたいな、黙ってサッポロビール飲んで、後ろからバンバンバンバン頭叩かれて、全然ビール飲まれへんみたいな。


中野:そのうちサッポロビール頼んでも出てこないみたいな。


(爆)


中野:男は黙ってるだけで(笑)


藤井:飲んでるだけで(笑)


中野:飲んでるだけで(笑)


藤井:もうジンギスカンもなんも出てこない、みたいな。ただ座ってるだけで金払ってるみたいな(笑)。そういう状況になってるんですよね。でも土木関係者は未だに中野さんがご指摘されたような滑稽な状況にあるんですよね。


中野:だけどねえ、これ土木の立派な先生方を擁護すればですね、土木のことだけじゃないんですよね。


藤井:日本人の一つの型ですよね。


中野:そ、そうなんですよ。だってちょっと前までは郵政民営化といって、特定郵便局がなんか政治力を持って悪さしているみたいな感じで・・・。

騒ぎ立てる方は悪意を持っているんでしょうけど。騒ぎ立てられる方は、確かに我々も反省すべきこともあったから襟元を正して反省をして・・・、じゃあ襟元を正して反省をしていると周りはもっと調子に乗って殴るわけですよ。


(中略)


藤井:おそらく21世紀に入る前後くらいから、本当にデフレになったあたりから状況が完全に「イジメっ子の状況」になってですね、守るべき人が公共事業を守るということを放棄して、でも土木の人はずっとメンタリティーが変わっていないという状況があった。

それで、中野さんに「京都大学にお越しいただけないでしょうか」と言った時の僕の気持ちはこうだったんです。

例えば先程の「男は黙ってサッポロビール」。

ビール頼んでも出てこない、肉も運んでこないという状況で、困るのは「この人」だけなんですけど、ただ、「この人」が「土木」になると「この人」が困っているということは日本の未来が斜陽していくわけですよね。傾いていく。

ここで黙っているのは美意識を貫くという私徳。そして私の徳を貫くという美意識を貫くことは公徳の次元では非常に大きなデメリットをもたらす。それが一番分かりやすいのが大災害による人の大量死であったりとか大被害であったりする。あるいは色んなインフラ老朽化による大きな事故とか、それはもう目に見えて分かっていたわけですから、「男は黙ってサッポロビール」なんていう私徳をやっている場合じゃない。

そうすると、東京物語の笠智衆(※2)がやっていることは確かに美しいのかもしれないけれど、笠智衆にもの凄い責任があるとすると、打って出て闘わないといけない。笠智衆も「コノヤロっ」なんていって踊らないとダメな局面があるかもしれない。

それは私徳の点ではオゾマシイと言われるようなことかもしれないが、公徳の点でいうとそういうのが必要じゃないでしょうか。大局を見ると、ケンカをするあるいは「オルテガの大衆社会論的」(※3)な話で批判をしている人たちにあえてケンカを挑んでいくという構造が必要なんじゃないかなと当時は思っていた。ま、今でも思っているわけですけどね。


中野:やっぱり、自分の仕事をマジメにやれば理解してもらえるだろうというお気持ちは、そりゃ好意的に見ればそうですが、ただ、意地悪な見方をするとそういうものの考え方というのは、自分が動かないことに対しての言い訳を自分に言い聞かせているという可能性もないわけじゃないですよね。それはどっちなのかは分かりませんが、自己欺瞞っていうのはなかなか判定が難しくて、いくらでも言い訳が出来てしまうので、そういった問題というのは、あるにはあるでしょうね。


(後略)


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言わずもがなのことであるが、「土木の立派な先生方」というのは、公共土木という世界を構成する私たちそれぞれが自分の立場及び職種に置き換えて読まなければならない。

(甲であり乙であり発注者であり受注者であり公務員であり設計業者であり施工業者であり経営者であり技術者であり政治家であり・・・というように)

「男は黙ってサッポロビール」なんてやっている場合ではない。

「笠智衆」でさえ、「コノヤロっ!」とばかりに踊らなければならない局面があるのだ。

ならばなおさら私(たち)は、

自分自身が自分の持ち場で、笑顔でたたかえ、えぶりばでぃ、

なのである。

 

 

※1 男は黙ってサッポロビール


※2 『東京物語』(の笠智衆)


東京物語 [DVD]

小津安二郎

コスモコンテンツ


※3 オルテガの大衆社会論

オルテガは大衆社会の本質をこう語る。

「他人と違うのは行儀が悪いのである。大衆は、すべての差異、秀抜さ、個人的なもの、資質に恵まれたこと、選ばれた者をすべて圧殺するのである。みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除される危険にさらされている。」(『大衆の反逆』)

たしかにこの「大衆」は相互模倣を原理としている集団であるという点で、ニーチェの「蓄群」に似ている。しかし、彼らの精神構造は、強圧的な支配者(「父」)を自己の外部に想定し、それへの隷従を幸福と感じる「奴隷」のそれとはかなり様子が違う。というのは、「大衆」らは近代のテクノロジーが可能にしたさまざまな物質的利便さと、民主政治によって提供された人権のおかげで、きわめて快適に生活を過ごしているからである。彼らの欲望は着々と充足されており、この欲望充足の営みを規制しようとするものにはなんであれ(たとえ「父」からの強圧的命令であれ)大衆はまるで従う気がないからである。

(『内田樹の研究室』2005.4.3、『ニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」』より)


大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

オルテガ・イ・ガセット

神吉敬三訳

筑摩書房




 

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