答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

”『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~”を読む

2013年12月07日 | 土木の仕事

いわけんブログ

『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第2回)

http://www.iwaken.or.jp/info/2013/12/04_1807.html

「第2回」というからには、当然その前、第1回があるのだろうが、

勉強不足。まったく知らなかった私である。

どちらにしようかな、と一瞬考えたあと、

とりあえずは眼前の「第2回」から読むことにした。


地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。


というリードのあとに、実際に携わった重機オペレーターのかたの談話。


―作業に行く時の思いを教えてください

 震災前は衰退の一途でしたが、こういう時こそ、土木業者の力を発揮して頑張らなければと思いました。幸いなことに家が流されなかった私が、最初に行きました。家族からは「頑張って下さい」と励まされました。「今までお世話になった分、みんなに返しなさい」と親には言われました。家族のため、山水を汲んで食料を準備してから現場に出ました。息子たちも歩いて買い出しに行ってくれました。家族の支えが大きかったです。


―困ったことはありましたか

 (前略)

 食料がなく、一口程のおにぎりが配られました。人数分が足りない時、市役所の若い職員が「私たちは見ているだけですから、重機の方が食べてください」と言われました。作業についても一生懸命勉強していました。市役所の若い人の態度を見て、これから先、希望が持てると思いました。


一部をピックアップさせていただいた。

皆さんもぜひ、全部を読んでいただきたい。

ちなみに第1回はこちら。

http://www.iwaken.or.jp/info/2013/11/25_1846.html

たぶん、続くのだろうと思う。

 

 

 

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