答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「『強靭化の思想』(藤井聡)を読む」に加筆修正をして再度アップしてみたこと

2013年11月12日 | 三方良しの公共事業

(ほぼ)毎日書いていると、「とりあえずリリースしなければ」という考えが先に立ち、説明不足や消化不良のままアップしてしまうことが、ままある(単に書くチカラ不足と言われりゃそれまでだが ^^;)。

呻吟する、とまでも行かず、その手前であきらめてしまうものだから、いきおいその内容が薄いまま終わってしまうのだ。

そういう場合、以前は、下書きのまま保存して熟成するまで待つ、という方法をとっていたのだが、近ごろは、どうにも我慢が足りない私。一昨日がそうだった。

最後のところで、「なんか足らんのよね」としばらく足掻いてみたものの、あきらめて投稿。

だが、そのあと、思わぬキッカケから己の言いたかったことを表現する言葉に出会い、思わず膝を打つ。

キーワードは「依存的」と「主体的」。

キッカケをもらったのは、この夏知り合った深美さんが書いた本。

子どもと先生がともに育つ人間力向上の授業』(深美隆司著、図書文化社)である。

 

 では、それを踏まえて、一昨日の稿に加筆修正。

ご笑覧あれ (^^)

 

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『強靭化の思想』(藤井聡、扶桑社、Kindle版)を読む。

 

だからこそ、今求められているのは、過剰な自由競争の進展に歯止めをかけ、建設業そのものを「保護」することなのだ。

繰り返すが、それは決して、建設業者の利益の確保が目的なのではない。

それは民の利益を守るためにこそ求められているのだ。

この視点をなくした公取の過剰な活動は「暴走」という言葉でしか表現し得ぬものにしか過ぎない。だからこそ我々日本国民は、そんな暴走を何とか食い止め、国民自身の利益確保のために建設業を「保護」しうる諸制度の探求を速やかに始めればならないのである。(P.59)

 

拍手。パチパチ。素晴らしい。

が、だからといってその建設業の末席に加わる私自身が、この言に酔い痴れていただけでは、結局のところ、「どこかの誰かさん(たち)が私(たち)を追い詰めているから・・・」という他責の念から脱け出すことはできない。

だとしたら、そんな私が持ち続けるべき心持ちは

 

そもそも日本を「変える」ことが出来るのは日本の「外側」にいる日本「以外」の存在だ。日本の「内側」にいる者は、日本を「変える」ことなんてできない。日本の「内側」にいる者ができるのは「自らが変わる」ことだけなのだ。(P.234)

 

という、これまた本書から引用したこの説の、「日本」を「公共建設工事という世界」に置き換え、


そもそも「公共建設工事という世界」を変えることが出来るのは「公共建設工事という世界」の外側にいる「公共建設工事という世界」以外の存在だ。「公共建設工事という世界」の内側にいる者は、「公共建設工事という世界」を変えることなんてできない。「公共建設工事という世界」の内側にいる者ができるのは「自らが変わる」ことだけなのだ。


と自らに言い聞かせながら日々を生きるということなんだろうな、と私は思う。

もとより、やれ総合評価制度だのやれ工事評定点だの、何かにつけ(役所からの)評価に依存して日々の仕事を生きている現実であれば、私たちが受け身の存在であることは間違いない(と私は思う)。

そしてその依存的なあり様をして、かつて桃知利男さんは、「中小建設業はまるで水槽の中の金魚のようなものだ」という比喩で表現し、それを前提にしたうえで私は、


 私たちは「金魚鉢の金魚」から抜け出すことは結局出来ないのかもしれませんが、「なんだかわからないもの」から脱却することは出来る筈です。

 (高知県建設短期大学校『紀要(平成22年)』より)

  http://www.sanpouyoshi.jp/torikumi/PDF/kensetsutandaikiyo2010.pdf


と言い続けてきた。

となれば、くだんの読み換えは、


そもそも「公共建設工事という世界」を変えることが出来るのは「公共建設工事という世界」の外側にいる「公共建設工事という世界」以外の存在だ。「公共建設工事という世界」の内側にいる者は、「公共建設工事という世界」を変えることなんてできない。

だとすれば、「公共建設工事という世界」の内側にいる者がやらなければならないのは、「公共建設工事という世界」を「変えようとする」ことではなく、はたまた「変えようとする」チカラに対して正面から抗うことでもなく、「自らが変わる」あるいは「自らが変わろうとする」ことでしかない。それこそが「公共建設工事という世界」の内側にいる者が「公共建設工事という世界」と主体的に関わろうとする意思の表れなのである。


と、こんなふうにアレンジしたほうがしっくりくるかなと、

『強靭化の思想』(藤井聡、扶桑社、Kindle版)を読みつつ考えた。

 

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どうだろう?

己の舌足らずを訂正するために勢い込んで加筆修正をしてはみたが、

「ちょっとしつこいんでないかい」と思わぬでもなく、

前稿のほうが良い、という気がしないでもない。

まこと、「書く」というのは難しいものである。

 

 

子どもと先生がともに育つ人間力向上の授業

深美隆司著

図書文化社

 

強靭化の思想

藤井聡

扶桑社

 

 

 

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