答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

知識と思考

2013年10月10日 | ちょっと考えたこと

先日、とある中央官庁のキャリア官僚の講演を聴いた(国交省ではないですよ)。

全体として、とてもいい話しを聴かせてもらったのみならず、夜の部でも、差しつ差されつの土佐流で、楽しい意見交換をさせてもらった。

で、彼の人が講演の最中に言ったこと。

「思考は知識にしばられる」

つまり、あるひとりの人間の思考というやつは、知識の有無あるいは多寡によって、おのずから制約を受けてしまう。

もっと平たくいえば、知識がないと思考はできませんよと、まあこういうような意味だと私は解釈した。

私は、「必ずしもそうではないな」、と思いながら聴いていた。

彼が云うところの「知識」とは、いわゆる「形式知」(※1)である。しかし、形式知としての知識は少ないとしても、積み重ねた「暗黙知」(※2)があれば「深い考え」に至ることができるのではないか、とまあそういうふうに思ったのである。

で、さらに考えていると、「やっぱしばられるわ」と思い直すことになる。

人と人とのつながりにおいて、あるひとつ(一人)の思考は、出力されなければ意味を持たないと私は思っている。

であれば、それを出力しようとする時、確かに「思考は知識にしばられる」。

いや、ちょっと違うな。

必ずしも思考は知識にしばられないが、それをアウトプットしようとすると、どうしても知識の多寡に左右されてしまうのである。

ということで「そうやわな」と、あわただしさに可負け、知識のインプットを怠っていた己を反省。

「もっと勉強せえや」と、別の私が、右の頭の上のほうから笑っているのである。

 

 

※1 形式知

形式知とは、文章や図表、数式などによって説明・表現できる知識のこと。明示的知識ともよばれる。経営学者・野中郁次郎が日本企業の知識創造に関する研究において、暗黙知の対概念として用いた。野中は、個人の暗黙知を誰もが共有できる形に明示化して形式知に変換することが、日本企業の知識創造を可能にしていると主張した。(コトバンク「形式知」より)


※2 暗黙知

暗黙知とは経験や勘に基づく知識のことで、個人はこれを言葉にされていない状態でもっている。経営学者の野中郁次郎は、日本企業の研究において暗黙知をこのように定義し、形式知の対概念として用いた。例えば、個人の技術やノウハウ、ものの見方や洞察が暗黙知に当てはまる。(コトバンク「暗黙知」より)

 

 

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