答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「責任のないものに対して、それを自分の責任として引き受ける」(平川克美)

2013年02月24日 | 読む(たまに)観る

 

移行期的乱世の思考 「誰も経験したことがない時代」をどう生きるか
平川克美
PHP研究所

 

どうして私はこの人が書くものを好ましく思うのだろう、と考えつつ読む。

『移行期的乱世の思考「誰も経験したことがない時代」をどう生きるか』を、である。

実際のところ、結論は読む前から出てはいるのだ。

読後感ならぬ読中感がイイ。平たく言えばグルーブするのである(平たくないか?)

例えば、書いている主旨には大いに賛同するが、その物言い(文体)を体感として拒否する場合。

また例えば、文体は良いとしても、その内容が伴わないような場合。

どちらにしても、お気に入りのセンテンスにマークしようとして待機する私の蛍光ペンは、なかなか動こうとはしない。

それに比べ、平川さんは爽やかである。

いや決して文体はそうではないかもしれないが、その主張や展開が、(私にとっては)なんとも言えず爽やかで、

例えばこんな文章を、私は断固支持してしまうのである。

 

 人間は、自分というものに、本来責任がない。つまり、生きているということは、責任がないんですよ。偶然、生まれてきたわけだから。(P.148)

 

 また、生きているということに、解答もありません。絶対にこうしなくてはいけないという規則があるわけでもない。自発的に、自分たちが生き方を選びとるしかない。その時に、こんな選択がある。責任のないものに対して、それを自分の責任として引き受ける。それが人間であり、その人間の倫理といったものを作っていくということだろうと思います。(P.148)

 

 褒められたいわけでもなく、報酬を受けたいわけでもなく、ただ淡々と仕事をする。本来、自分に責任はないものに対して責任を持つという生き方を、我々の祖先たちはしてきたんんだということですよね。それをちょっと引き継いでいきたいという気持ちはあるんですよ。(P.151)

 

一方で平川さんは、自身を「会社の部分に関しては極めて冷徹な経営者」としている。

そして、そのうえでこう言うのだ。

 

 ちょっと誤解されるといけないんですが、個人が自分の仕事に意味を見出して、そこに自分のすべてを投入することと、会社が利益を目的としたチームとして動くということは、それぞれ異なる文脈に属しているということだと思います。

 前者は個人の生き方、哲学の問題であり、後者はただ会社というもののプラクティカルな問題だということです。社会と会社も別の文脈で考えるべきです。もちろん、それらは画然と区別されるわけではありませんが、少なくとも会社というものが持っている限界、お金儲けとか効率化というものが会社の中では重要な要素ですが、それを社会全般や個人の哲学に適応できるわけではないということに自覚的であるべきです。(P.163)

 

う~ん。

「自覚的であるべきなんだろうな。やっぱり」と独りごちる、2月最後の日曜日の朝、なのである。

 

 

       

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