答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

辺境から

2012年11月22日 | 中岡慎太郎

客人を乗せて運転する私の後部座席で、

「へ~」「(こんなところで仕事をするのは)大変だね、こりゃ」...

とかなんとか皆さんが仰っしゃるのを聴きながら、いつもは冗談半分に辺境の民を名乗る私だが、あらためて偏狭に、もとい辺境に生きているのを実感した。


「これ、国道ですよ」

「え?国道?」

「落石注意って言われたって、どう注意していいかわからないよね」

「・・・・・・・・(そりゃまっことそのとおり)」

 

そんなこんなのやり取りもありながら現場をひと通り見てもらい、モネの庭へ行ったそのあと、締めは北川村柏木。

我が慎太郎さんが生まれ育った場所である。

北の大地から来たある方が、

「こんなところから・・・すごいよね」

しみじみとそう言う。

「こんなところから、日本を変えようと出ていったんだ」

そうなのだな、と気づかされる。

「こんなところ」に住む辺境の民である私は、「こんなところ」ということを普段は感じずに生きている。

が、慎太郎生家から山ひとつ隔てたところで日々を営む私は、実際のところ、「こんなところ」の住民なのだ。

もちろんこの場合、「こんなところ」は最上級の褒め言葉である。

慎太郎さんを認めてくれるからこそ、その志と「こんなところ」とのギャップに感動してくれたのだ(ネ、たぶん)。

いみじくも、

石原慎太郎、と言い間違えた誰かがいて、そしてそれは単なる言い間違いに過ぎないのだが、

地を這い未完のうちに逝き、後世である未だ正当に評価されぬ我が慎太郎さんと、かの(老いてなお大向こうを唸らせることに執着しているかのような)慎太郎氏では比較にすらならないと、すでに慎太郎さんより20年以上も長く生きてしまった私は、そう思うし、だから「維新」という言葉を軽々に使わないでほしいものだと、そうも思う。

そんな私やアナタが生きている今という時代、Webという時代は良くしたもので、「こんなところ」に居ながらにして、容易に世界へとつながることが出来得るのだが、

そのことと比較するとなおさら、「こんなところ」という言葉が、よりいっそうの凄みを増して私の脳ミソに響いたのだ。

さらに言えば、当時の土佐という国あるいは土佐人の凄さと哀しさは、それが中岡慎太郎いち個人のみにとどまらず、幾多の草莽の志士たちが、「こんなところ」よりも奥深い辺境からも続々と湧き出し、そのほとんどが、志し半ばで散っていったところにある。


「いや~、アンタと知り合ってなかったら、オレ絶対こんなところまで来てないはずだもんね」


北の国から遠路はるばる来てくれた我が仲間の言葉で、この国の礎(いしずえ)、のそのまた礎となった同郷の先達たちに、あらためて感謝した私なのだ。

 

        中央少し右にある茅葺き屋根が中岡慎太郎生家

 

 

         

             有限会社礒部組が現場情報を発信中

 

         

             発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

             三方良しの公共事業実践中!

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加