答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

他人のものはボクのもの

2012年11月01日 | 土木の仕事
 
模倣
このあいだヒゲブチョーさんからいただいたコメント、「私も、どんどん模倣させていただきます。(モ~ホ~のけはありません、念のため)」に触発されて、書いていた。私のことを「断定する...
 

 

きのう、一年前のアンタのブログだよとgooブログから送られてきたやつを、クソ忙しいさなか、その書き出しに誘われてついつい読んでしまった私。

そのことについて、10月2日には「そうかやっぱりな。(ブログは)タイトルと写真か」と書いたのだが、

今日はそれに「書き出し」を加えたいと思う。

一年前に私が書いたそのブログ。

読み起こしてみるといかにもクドく、文章はまるでなってないのだが、書いている内容は私の持論であり、

偶然にも、きのうもそのことを考えていたため、まさにグッドタイミング。

社内のイントラネットに、「読んでね」とアドレスを投稿した。

しかし、当ブログの奇特な読者のかたがたに、上の「続きを読む」をクリックしてそっちまで飛んでいってくれというのは、いささか不親切だ。

ということで、(ブログは書き出しだと宣言しておきながら)冒頭のマクラの部分は外してコピペしてみることにした。

ご笑覧あれ。

 

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模倣する。

私にとってはそれが出発点だし、いつになっても帰ろうとするところである。

土木技術者として日々を過ごす(若い)アナタはどうだろう。

ひとつ。

「他人の現場の図面を覗き見る」という習慣があるだろうか。うっとうしがられても、厚かましいと思われても、自分が目を通すことができる範囲にある図面は、常に見るようにするのである。出来得ればそのうえで、質問なんぞをすればなおイイ。そんな質問疑問に親切に受け答えしてくれる人など、そうそういるもんではないと思うなかれ。「お、コイツいつのまに・・・・・・」てなもんである。案外と悪い結果にはならない。

もうひとつ。

「他人がつくったモノを見る」という習慣があるだろうか。なにもわざわざ見に行けとまではいわない。日々の通勤、休みの遠出。アナタの横には、同僚や上司や彼女や彼や妻や子ども、その状況に応じて種々の人がすわっているのだろうが、まずは見るとはなしに、でもいい。そしてその場に行って、じっくりと見る。とにかく「他人がつくったモノを見る」。見て何かを感じるのである。

さて、この二つの習慣をアナタが身につけたとしてだ(ここからが本番である)。さあアナタの現場である。

土木の現場というやつは、設計図に描かれていないことや、設計図に描かれていてもそのとおりにいかないことが、何度も必ずやってくる。その時、アナタはまずどうしているだろうか。

私が見るところ、いちばん多いのが、「お伺いをたてる」というパターンである。それが上司であれ役所であれ、まず「お伺いをたてる」。「これどうやったらいいですか?」とお伺いをたてる。

そこなのだ問題は。

まずしなければならないのは、「このシチュエーションではどういうふうなモノが適当なのか」、「自分はどういうふうなモノをつくりたいのか」、を考えて自分と向き合うことなのだ。そしてその「モノ」を図面にするのである。そんなとき、アナタ自信が経験してきた現場の数だけで勝負しようとすれば、とても勝負にはならない。そこで、いつか見た(他人の現場の)あの図面、いつか見た(他人がつくった)あのモノにも加わってもらって、脳みそをフル動員するのである。

そして、その図面と資料を見せて、こう言うのだ。

「私はこんなモノをつくったらイイと思うんですが、どうでしょう?」。

「なんだ結局お伺いをたてるんじゃないか」と思うなかれ。これは「お伺いをたてる」という行為とはかけ離れたものなのだ。なんなら、一度といわず二度三度、試してみるといい。

威力は絶大である。

そうなると、相手とて黙っちゃあいない。こういっちゃあ開き直っているようでなんなのだが、上司や役所は、自分で資料をつくるのが面倒なのだ。面倒なのだがしかし、欲しくてたまらないのだ。そんなときに、「考えるためのネタ」が目の前に現れてご覧なさい。言葉には出さないが、うれしくてたまらないのである。

ただ、世の中そうそううまくいくもんではないので、アナタの脳みそをフル動員したはずの図面や資料は、こともなげに撃退されることも、ままある。

しかしだ。そういう積み重ねが、アナタの乏しい経験を倍増させる。いや、そういう積み重ねを経なければ、アナタの1年は1年分の経験にしか成り得ず、実経験の分しかアナタは進歩できないということになる。実経験の分だけ進歩できるならまだイイほうで、10年が5年分にしかなっていない、という笑えない例だって、世の中にはゴマンとあるのだ。

だから私は、いくつになっても、わからないことを打開するためには、「模倣」をその出発点とする。そしてさまざまな「模倣」を組み合わせていく。それが俗にいう「引き出しの多さ」というやつなのだ。

もっとも重要なのは、どこにその「学び先」があるか(あるいはいるか)を、脳みそに入れておくことである。

 

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そして、一年後の今日も今日とて、初対面のあるかたを目の前にしてしゃべっていたことも、根底に流れるものは同じ。

このやり方を組織のシステムとして水平展開する。

つまり、経験を共有し次に活かすためにやっていることなのである。

 

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