きのうgooブログが、
「これ、アンタが一年前に書いたブログだよ」と教えてくれた稿。
『10月19日高知新聞25面より』
http://blog.goo.ne.jp/isobegumi/e/1955d78cae34ea058bbb9ea2b25de3b5
昨年の国道493号応急復旧、「作業員の努力もあり、工期を短縮できた」という言葉を安芸土木事務所のコメントとして紹介してくれた高知新聞の記事について、の稿である。
「おぼんのような世界」は自ら情報を発信(物語=プレゼンテーション)できないことで、好き勝手に解釈されている。つまり自ら情報を発信しない限り「なんだかわからないもの」は「なんだかわからないもの」のままなのであり、それは好き勝手に解釈されるものでしかないのである。(『桃知利男の浅草的ブログ』より)
http://www.momoti.com/blog2/2008/06/post_251.php
というメッセージを受け「(自覚という名の)勘違い」をした私は、
ことあるごとに「自ら情報を発信せよ」と、そう唱えるのだが、
アクセス数が増えたとはいえ、400そこそこの人に読んでもらっているこのブログと、
地方紙だとはいえ発行部数20万部を超える一般紙とでは、そもそもその影響力は桁外れに違う(って当たり前だが)。
したがって、一般紙に載る載らない、またはどのように載るか。地方ではまだまだこれは大きなことなのだ。
と、毎日毎日私(たち)の住む業界の記事が掲載されない日がない、昨今の高知新聞を見ていてそう思う。
そして、だからこそあらためて、「私たちのお客さんは住民です」を旗印にしていこうと、日々新聞を読むたびにそう思うのだ。
そこへ飛び込んできた冒頭のメール、そして一年前のブログ。
「作業員の努力もあり、工期を短縮できた」というコメント。
思い浮かんだのはこの言葉。
一人ひとりが自分の持ち場で、笑顔でたたかえ、えぶりばでぃ!(byひのw)である。
四捨五入で六十になんなんとする齢なれば、「元気があればなんでもできる」などと言えるほどウブではないが(年のせいではなく、ひねくれた性格のせいかもしれないが)、「元気がなければなんにもできない」とは思う。
たとえそれがカラ元気であったとしても、なのである。