答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

学びが起動するとき

2012年06月30日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

「話しを聴きたい」と、

きのう私のもとを訪れた県内の施工業者の社員さん3名、初対面である。

「何を聴きたいのか」という私の問いに、事前に電話で答えてくれたことに、私なりの資料を用意はしていたが、

先方の様子を見て、そいつは後回しにすることにした。

私が何を考えどういうふうな行動をとって今に至っているのかという、いつもの「身の上話」から切り出すことにしたのだ。

話しが始まってまもなくすると、先方にスイッチが入った(ような気がした)。

その表情は明らかに、「学び」が起動した人のものとなったのである。

受け取る側が思い込みさえすれば、いつでもどこでも誰が相手でも、「学び」は起動する。

言い換えれば、どんな偉い人のどんな有難い言葉でも、受け取る側に「学ぶのだ」という思い込みがなければ、「学び」は起動しないのである。

彼らは私を、「学ぶ」対象たり得ると思い定めた(たぶん)。

そんな彼らを前にして、講釈を垂れているはずの私が、逆に刺激をいただいたのもまた当たり前田のクラッカーである。

私や私の属する会社に、他所様がわざわざ聴きに来たいと興味を持たれるほどの何かがあるとしたら、それはどちらかというと暗黙知(※1)に属するものであって、

だからこそ、それを形式知(※2)(みたいなもの)に出来ればいいな、ということがこれからの私に課せられた大きな宿題なのであるが、

そういう意味では、他人さまを相手に何かを伝えようとする行為は、「私と私の環境」にとって有益以外の何物でもないと思う。

てなことを言いつつ私は、聞き手には大変申し訳ないのだけれど、

「CCPMを実践すりゃあ未来永劫儲けつづけられますよ」とか、

「三方よしの公共事業を実践すりゃあバラ色の未来がありますよ」というふうな、明確な答えを持ち合わせていない人なのだ。

「正解」を持ち合わせていないと言い換えてもいい。

なぜなら私は、何かが「わかった」すぐその後でわからなくなってしまい、「わからないけどやる」からまた始めるという、じつにややこしい人だからである。

ということはすなわち、私と話しをしていても、ただ聴くだけでは「何もわからない」ということに他ならない。

だから、聴いてくれているかたを見ていて、「学び」の起動モードに入ったなと感じたとき、「ありがたいな」と思うのである。

くどいようだが、受け取る側が思い込みさえすれば、いつでもどこでも誰が相手でも「学び」は起動する。

子曰く、「述べて作らず」(※3)だ。

いやいや、わざわざ孔子を持ちださなくても、私のオリジナルなどは何もない。

現に今日、いい気になって書いている「学びのメカニズム」だって、内田樹さんからの受け売りである。

だから、私に課せられた(といっても勝手に自分ひとりでだが)「暗黙知を形式知(みたいなもの)に出来ればいいな」という大きな宿題を考えれば、

きのうの出会いが、ホントにありがたいものだと思えてしまうのだ。

 

 

(※1)暗黙知

人間一人ひとりの体験に根ざす個人的な知識であり、信念、ものの見方、価値システムと言った無形の要素を含んでいる。


(※2)形式知

文章、数学的表現、技術仕様、マニュアル等に見られる形式言語によって表すことができる知識。

(※1※2とも『知識創造企業』野中郁次郎・竹内弘高、東洋経済新報社、より)


 (※3)述べて作らず

「私は先賢がすでに語ったことを祖述しているにすぎず、ここに私のオリジナルな知見は含まれない」という、孔子自身による宣言。

(『日本辺境論』内田樹、新潮新書、より)


知識創造企業

野中郁次郎・竹内弘高

東洋経済新報社 


日本辺境論 (新潮新書)

内田樹

新潮社 

 

 

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