答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

エアロバイクをこぎながら読む

2012年05月20日 | 読む(たまに)観る

 

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)
内田樹
文藝春秋

 

かつて、タツラーになるんだと宣言したわりに私は、それほど(量的に)内田本を読んではなく、

例えば、『寝ながら学べる構造主義』なんぞという、代表作も読んでいなかったりする。

それをどうしてかというとそれは感覚的なもんでしかないのであって、「食指が動かなかった」としか言いようがないのだが、

このたび晴れて、『寝ながら学べる構造主義』を読む。

エアロバイクをこぎながら読んだのだ。

 

 本書は入門者のための、平易に書かれた構造主義の解説書です。(P.7)

 

と言われても、私には構造主義について学ぼうとする意欲も意思もなく、ただただこの本を、

読んでみようと、言い換えれば、ある日コイツが私を呼び寄せたと、そんなわけである。

 

そして、のっけの「まえがき」から、

 

知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。

 知的探求は(それが本質的なものであろうとするならば)、つねに「私は何を知っているか」ではなく、「私は何を知らないか」を起点に開始されます。(P.11~12)

 

なんて文章を発見すると、ひとりほくそ笑んでしまう私である。

そして、


 テクストも読者もあらかじめ自立した項として、独立に存在するわけではありません。例えば、非常にインパクトの強い本の場合、最後まで読み終えたあと、そのまま間をおかずにもう一度はじめから読み直すことがあります。そして、その二度目に、私たちは一度目には気づかずに読み飛ばしていた「意味」を発見することがあります。なぜ、最初は見落としたこの「意味」を私は発見できるようになったのでしょう。それは、その本を一度最後まで読んだせいで、私のものの見方に微妙な変化が生じたからです。つまり、その本から新しい「意味」を読み出すことのできる「読める主体」へと私を形成したのは、テクストを読む経験そのものだったのです。

 このテクストと読者のそれぞれがお互いを基礎づけ合い、お互いを深め合う、双方向的なダイナミズムに基づいて、バルトはテクストについてのまったく新しい理論を紡ぎ出すことになります。(P.125~126)


なんてのを読んでしまうに至っては、

ロラン・バルトが解る解らない云々の話とはまったく別の次元で、私の脳みそは興奮し、

「犬は喜び庭かけ回り、猫はこたつで丸くなる」状態になってしまうのだ。


 

 ←高知県人気ブログランキング

   ← 高知情報ブログランキング 

  

  

コメント
この記事をはてなブックマークに追加