答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

人は変化するのが当たり前だということ

2012年03月26日 | 読む(たまに)観る

「アイツは変わらない(変われない)」

いいやそんなことはない、と私は思う。

仕事を覚えるということは、「自分を変えていく」ことである。

もっといえば、そもそも「育つとは変わること」(養老孟司)である。

だから、渡る世間を生きていくということは、変わる術(すべ)を見につけながら生きていくということである。

しかし現実には「変わらない(変われない)」人、あるいは「と思い込んでいる人」が多数存在する。

そんな人に対して私は、「自ら変わらなければならない」と、よく熱弁をふるったものだが、ある時から、「あんまりそれを言い過ぎるのもなんだかなあ」と感じるようになった。

「変われ」「変わろう」「変わるのだ」と、言われる方も辛いだろうにと思うようになったからである(だから少しはつつしんでいるつもり)。

「変わらない(変われない)」人が、「変わらない」を是としているのか、はたまた「変わる」を恐れているのか、どちらでも良くはないが、この際おいておく。

いずれにしても、人は「変わる」のが当たり前だというアプローチから入ると、もう少し楽に考えられるのかもしれないかなと、

『養老孟司の大言論1 希望とは自分が変わること』(集英社)を読みながら考えた。


システムの安定性としての個心は、あるともいえるし、ないともいえる。いまだにそれを「客観的」にいうことはできない。それなら経験的にいうしかないが、生まれてから死ぬまで、「同じ人」などということが、あるわけがない。だから林郁夫の例を挙げたのである。それを端的にいうなら、「人は変わる」のである。自分がどういう面で変わり、どういう面で「変わらない」か、それはわからない。歳をとっても、本当にはわからないのである。そこには「個性」があるかもしれないからである。

 私はそれを希望と呼ぶ。希望とは、世界が変わるのではない、自分が変わるのである。その希望を押し殺すのが、「変わらない私」、個心である。

(P.228)


養老孟司の大言論〈1〉希望とは自分が変わること (養老孟司の大言論 1)

新潮社 



 

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