答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

わからないけどやる、わからないからやる

2012年03月23日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

「自分の無能を認めて許せよ」(橋本治)。

そうしなければ、陰々滅々の悪循環に陥るばかりである。

出来もしない反省ほど、自分自身にとって無益なものはない。くよくよと反省ばかりしてしまいがちな私が言うのだから間違いがないのだ。

わからないものはわからない。いくらそれをわかろうとしても、そしてわかったうえで事を始めようとしても、どだいそれには無理がある。

私は、「わからないけどやる」「わからないからやる」を肝に命じている。

いつものように、私オリジナルの知見でも何でもない。模倣である。コピーである。いやコピーアンドペーストである。

 

 「わからない=恥」 ー誰もがこの日本人的な美意識に従ってしまうとどうなるか?「ぐずぐずしているだけでなにも始まらない」という、いたって日本人的な膠着状態が出現する。しかも日本人はずるいから、そのぐずぐずしているだけの自分達のていたらくを肯定するために、生贄さえをも選び出す。みんなが「わからないからやらない」という「恥」の美意識の中でぐずぐずしていると、ここに時として、「じゃ俺がやる」というおっちょこちょいが飛び出したりもする。これが生け贄である。

 「わからないからやらない」派は、自分達の保守的な美意識が正しいことを示さんがために、「やめておけ」などという消極的な制止の声を出すが、「わからないけどやる」のおっちょこちょいは、その声を聞かない。聞かぬまま、果たして失敗をしてしまうのである。その結果に対して、保守派の断定するところが、「ほーら、言ったじゃないか」とか「そーれ見ろ」であるのはもちろんである。

 かくして、「わからない=恥」を前提とする、「わからないからやらない」という日本人的な美意識は確固としてしまうのだが、この予定調和的な「なんにもしない状況」は、どのようにすれば打破できるのか?結局のところ、「バカと言われることを顧(かえり)みない度胸」だけが、二十世紀病に冒された日本社会の膠着を突破するのである。

(『「わからない」という方法』橋本治、集英社新書、P.26~27)

 

「バカと言われることを顧みない度胸」などど一口に言うが、なかなかおいそれとは身につかないことである。

(私のように「バカと言われることがイヤでたまらないが、結果的にバカと言われている小心者」は別として)

手始めに、「自分の無能を認めて許せよ」。

そして「わからないけど(から)やる」。

少しばかり覚悟がいるが、こいつなら出来るはずだ。

そして、「わからないけどやる」「わからないからやる」のその先で、あっちへこっちへ右往左往しながら、気がついてみたら何が何だかわからないうちに、それが己の成長に結びついていたり、思いもしなかった成果が上がっていたりする。

それでいい。私はそう思っている。

 

 

「わからない」という方法 (集英社新書)
橋本治
集英社

 

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