答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

オヤジのIT修行(の原点)

2011年11月14日 | オヤジのIT修業

私の日常が、こうやってブログを書く日々なのだということが、少しずつではあるが、ここらあたりにも知られてきているようだ。

何度も書いているとおり、そんなとき、やたらと気恥ずかしくなってしまう私は、私のブログを起点としたその話題からすぐに逃げようとしてしまうのだ。

せっかくこうやって、他人さまに「晒すという行為」をつづけているんだもの。もうちょっと開き直れないかなと、我ながら情けないのだが、どうも生身の読者というやつには、からきしな私なのである。

こうやって、自分の仕事、やったこと、考えたこと、飲んだ酒、読む本を、不特定多数の他人さまにさらけ出すというのは、、多分にそれが脚色されたもの(時にはノンフィクションを継ぎ接ぎしたフィクション)だとしても、

ほとんど自分の性癖をあからさまにしていると同義ではないかと、私は思う。

今となってはほとんど信じてもらえないだろうが、子どものころの私は、弁当の中身さえ見られるのが恥ずかしいヤツだった。

ではなんで、そんなヤツがこんなことをしなければいけないのか。

私自身にもまた、原点がどこだったのかを肝に命じさすために、あらためて書いておくことにする(何度でも書くが)。

「『桃論』-中小建設業IT化サバイバル論」(桃知利男、エクスナレッジ、2002年)である。

 

IT化を通した「公共工事という産業」の変革とは、インターネット社会、つまり「今という時代」の中で、中小建設業、ひいては「公共工事という産業」が、市民社会との関係の中で自らの存在位置の編集作業ができる枠組みを考えだそうとすることでしかありません。(P.205)

 

IT化とは、その「変革」の精神的な基盤であり、私が「コミュニティ・ソリューション」の中枢にある、と考える「インターネットの精神文化」に、自らを開放(コミット)してみることでしかありません。(P.206)

 

「公共工事という産業」を取り囲む環境が変化しているとすれば、「公共工事という産業」も当然に変化する必要がある、ということであり、自らの変化で環境に働きかけることでしか、中小建設業は救われない、ということです。そしてその環境こそが、「今という時代」であり、「インターネット社会」という時代なのです。(P.207)

 

中小建設業は、自らを語らないことで存在していた産業なのかもしれませんが、そのことが市民社会との距離を大きくし、「公共工事という産業」が信頼をなくしてきたひとつの理由ではないでしょうか。それはサイバーな空間に限らず、リアルな空間(現実社会)においてもです。であれば、

 私たちは、書を捨てずに町に出なくてはなりません。

 そして、パソコンを捨てずに町に出なくてはなりません。(P.305)

 

最近、自分自身の備忘録的意味合いと、それがどこかの誰かに(ひょっとして)お役に立つかもしれないとい意味もあって、コンピューター関係のテクニカルな部分でのネタが散見される当ブログであるが、

じつは、「オヤジのIT修行」の原点と本質はここにある。

つまり、本質的には、〈公共工事という問題」の前では技術論的なIT化などなんの役にも立ちはしない〉(桃知利男)のである。

とかなんとかいいつつも、ふだんの「ブログを書く日々」は、「柚子」であり、「焼酎」でありの、どうということもないことだらけなのだが、それはそれでいいとしておこう。

もう一度、桃知さんの言葉を借りると、それは、

理解への第一歩は、自ら「インターネットを使うということ」と「インターネットの精神文化に自らを開放(コミット)すること」

だからであり、(さしあたっては)もっともここが肝心要の部分だからである。

 

私は、このメッセージを自分に向けられたものだと「自覚(または勘違い)」してしまった。

思えばそのころの私ときたら、甚だしく「勘違い」をしまくっていて、それは今に至ってなお、同じである。

それでいいのだ、と思う。

 

 

誠に残念だがこの名著、既に絶版である。

替りに、といってはなんだが、Webサイトで(途中まで)読める。

http://www.momoti.com/momoron/

興味のある方はぜひ。

 

 

 

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