答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

評価の尺度

2011年07月11日 | 三方良しの公共事業

 

 仮にAさんとしておこう。高知県職員で私より年配のかたである。

 「”安全な施工が出来ているか”、”安全安心で快適に利用できる施設が出来ているか”、これを私の評価のポイントとしていく」。たしかにAさんはこう言ったのである。

 少し驚いたあと、得たりとうなずいた私は、ひょっとしたらビックリしたまま口を「ホー」の字に開けっぱなしだったのかもしれないなと、今になってはちと恥ずかしい。

 私が私たちのつくる「モノ」、つまり「公共土木」に対する考えはこうである。

 発注者にとっての「良い品質」とは、仕様書や規格をより高いレベルで満足させた構造物だが、私たちのお客さんであるところの住民(市民)にとって「良いモノ」とは、”機能的に優れたモノ””利便性が良いモノ”であって、そしてそれをこそ地域に密着した地場中小零細(公共)建設業者は武器としなければならない。

 それが、「住民の安心安全のために、発注者と受注者がチームワークで、”より早くより良いモノ”をつくる」という、「三方良しの公共事業」での「(私の)良いモノ」である。と、アチラコチラで繰り返しそう語ってきた。

 だからAさんの発言に、心の底から感激したのである(こんな人とこそ仕事がしたい、いや、事実してきたのだがあらためて)。

 先日も書いたとおり、甲と乙改め発注者と受注者は同等ではない。現実にも同等ではないし、将来的にも同等たり得ない(はずである)。考えてもみてほしい。私たち公共建設工事に携わる施工業者や技術者は、発注者(検査員や監督職員)から工事評定点という指標をもって評価されている身なのだ。点数をつける側が点数をつけられる側よりも「弱い」あるいは「同等」という話は、ない、と考えるのが妥当ではないか(だからこっちにも点数をつけさせろよという意見もあるのだが、私に言わせりゃお門違いだ)。

 だから必然的に、「評価の尺度」がどこにあるかという部分が重きをなすわけであるが、その評価を下す側が、たとえば冒頭のような、

”安全な施工が出来ているか”、”安全安心で快適に利用できる施設が出来ているか”、

といういわば血の通った尺度を打ち出すということは、まさに私にとって我が意を得たりとこういうことなのである。

 じつのところ、そういったものを指標とした場合に施工者は、より厳しい局面におかれると私自身は考えている。そこでは、「設計書のとおり施工しました」とか「図面のとおり仕事しました」とか、あるいは「設計書に書いていませんでしたから」とか「指示がありませんでしたから」とか、そういった類のモロモロの言い訳は通用しなくなるからである(提案したけど却下されたというのは別だがネ)。

 「施工業者が変わることによって監督職員にも変わってもらうことが出来得る」。私はこんなことをことあるたびに言い続けてきた。その考え自体を捨てたわけではない。 

 しかし現実は、「発注者が変われば受注者は変わる」。これが手っとり早いのは間違いがない。なぜならば「甲乙」、もとい、「発注者と受注者」は同等ではないからである。

 

 

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