答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

お弓祭り(2011年)を終えて

2011年01月10日 | 北川村のお弓祭り

 

北川村星神社のお弓祭りについて書くのは、きのうで終わりにしようと思っていた。

しかし、どうしてももう一点、肝心なことを書いておかなければならないと、きのう内田樹さんのブログを読んでいて触発された(ま、そう思いたったわけだ)。

この祭りを観てくださったかたたちが、「感動した」とか「素晴らしい」とか言ってくださるのは、掛け値なしに嬉しいし、ありがたいことである。

しかし私にはどうみても、この祭りは早晩立ち行かなくなる可能性が強いとしか思えない。もちろんそう簡単には、「立ち行かなく」させるわけにいかないのは「当たり前田のクラッカー」であって、手を変え品を変え形を変えても、存続させることを第一義に考えていくべきだというのが、私の考え方なのだが、

どうも、少なくはない数の地域の人たちの関わり方が、おいそれとは修正がきかないぐらいにズレてきているのではないだろうかという危惧が、私を悲観的にさせるのだ。

基本的な考え方のことを言いたい。

「伝統のパス&レシーブ」ということである。

その昔、山村のこととて「わんさか」とまではいかなくても、そこらじゅうに人間がいて、「弓引き」候補生が次から次へと湧いてでたころなら、こんな小難しい話はしなくても良かったはずだ。

しかし、今はどうみてもそうではなく、存続できるか否かは、「今そこにある危機」なのである。

そんななかでは、やはり、「贈与と返礼のパス&レシーブ」というところに基本的認識をおいたほうが良いのではないかと思うのである。

つまり、こういうことだ。

 

私は贈与を受けた。

それゆえ、反対給付の義務を負っている。

けれども、贈与は贈与者にそのまま送り返すことができない。

それは「次の受け取り手」に向けてパスされなければならない。

贈与されたものに対する反対給付義務の遂行とは、「等価のものを贈与者にお返しして、チャラにする」ことではない。

反対給付義務は、「自分自身を新たに贈与者として立てる」というかたちで遂行するしかない。自分自身が新たに贈与者となることによってはじめて、非贈与者であることの負債から開放される。

『内田樹の研究室』2010.1.9「コピペはだめだよ、について」より

 

地元の人間の多くにとって、「北川村星神社のお弓祭り」に参加するということに義務感はあっても(それすらない人もけっこういるのが問題なのだが)、それは、先人の「贈与」に対する「返礼」としての「反対給付義務」ではない。

キーワードは、「自分自身を新たに贈与者として立てる」という言葉である。

言い換えれば、伝統のレシーバーであるとともに、パサーになろうとする心持ちなのだ。

そしてそのうえで、「今ある形が唯一無二のものなのだ」という思い込みを排除する。

延喜式の昔から1000年以上も続いているという話が本当ならば(いやもちろん信じていますよ私は)、例えば身につける装束ひとつとっても、様々な変遷をたどって今に至っているだろうなというのは、容易に想像がつくことではないか。

事実、そう遠くない過去には村内3つの神社が持ち回りで行っていた神事なのだ。それが2地区になり、最後には木積星神社だけが残ったという経緯は、地元の大人は誰でもが知っていることである。そして、今の形がある。

さらに誤解を恐れずに敢えて言えば、細部へのこだわりを持ち過ぎない。伝統行事では、ディテールにこだわることをおろそかにしてはならないが、こだわり過ぎるのはどうだろうかと思う。

何度もいうが、私たちはレシーバーであると同時に「次の受け取り手」に対するパサーなのである。キープするために私たちが存在しているわけではないのだ。

 

・・・・・・てなことを考えながら飲んでいたのは、お弓祭りの余韻が冷めやらないきのうのことである。

たとえば、「こんな余計なこと(もの)を」と考える人がいたとしよう。私はその人に対してケンカを売ろうとは思わない。

しかし考えてもみてほしい。連綿と続いてきた「贈与と返礼のパス&レシーブ」のなかに、自分もまた生きているのだという認識に立ったほうが、なんだか楽しくなってくるではないか。

私はそう思う。

 

 

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北川村のお弓祭り(その19) ― 「練り」

2011年01月09日 | 北川村のお弓祭り

 

私にとって(たぶん)射手として最後の、そして親子の射手としては最初で最後の「お弓祭り」が終了した。

何をさておいても、寒かった。しかし、楽しかった。

「弓引き」を務めさせてもらって、楽しいと思ったのは、4度目にして今回が初めて。

忙しいなか私が休むことを文句も言わず了承してくれた会社の人たち、そして、私たち親子を支えてくれた裏方の女子衆(おなごし)に、まずは感謝なのである。

そんな裏方さんを含めた関係者一同は、「練り」と呼ばれる、命中を祝う手洗い儀式で祭りを満喫する。

「型」さえ良ければ当たらなくてもいいんだと、いつもいつでも繰り返す私だが、射手が当たらなければ、身内のものは「練り」が出来ず、フラストレーションがたまる。そのたまったフラストレーションは敏感に射手へと跳ね返ってきて、肩に力が入ってさらに当たらなくなる、という「負の循環」に陥るのが今までの私のパターンだったのだが、

今回は、私も息子もそこそこ「当たった」。

ということは、「練り」をするほうも、楽しんだということなのである。

 

 

 

北川村星神社のお弓祭り―練り(その1)

 

 

北川村星神社のお弓祭り―練り(その2)

 

次回、2年後まで、このブログが続いていれば、またレポートさせてもらうとして、これにて2011年「北川村星神社のお弓祭りレポート」は終わりとさせていただく。

ちょっと私自身の露出が過ぎただろうか?

  

関連Webサイト

きたがわさんぽ〜北川村観光協会〜

「行ってきましたお弓祭り」

http://kitagawamura-kanko.sblo.jp/article/42450203.html 

【R55.BIZ】高知東海岸ブログ

「北川村のお弓祭りに行ってきました!(前編)」

http://r55.biz/log_1294490076.html 

「北川村のお弓祭りに行ってきました!(後編)」

http://r55.biz/log_1294556223.html

 

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北川村のお弓祭り(その18) ― 本番の朝

2011年01月08日 | 北川村のお弓祭り

 

今日、1月8日は、いよいよ本番。

意気揚々と西谷川での禊(みそぎ)へ向かうおじさんなのであった。

となりゃ誰も苦労はしない。

じつのところを白状すると、今日もまた、「あゝ、嫌やなあ」と思いつつ、川へと入ったわけである。

 

 

 

だが今日は、冷たいのに、なぜか爽快。

さあ、本番だ。

 

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北川村のお弓祭り(その17) ― 脱力して射つ

2011年01月07日 | 北川村のお弓祭り

 

 

明日、1月8日の本番に先立つ今日1月7日は、射手12名が全員揃ってのリハーサルなのである。

いつものことではあるのだが、4つの地区が勢ぞろいすると、我が地区の特異性が一目瞭然となる。

それは何か。「型」(の追求)である。

「様式(美)」(の追求)といったほうが似つかわしいのかもしれない。

そもそも「弓」は当てるために射つものであり、そのことを前提とした場合、こんなふうに

 

 

 

 

(上下に)振幅の大きい動作は理屈に合わない、と私は思う。

この「ふりかぶる」所作は、いちおう各地区共通なのだが、我が長山地区は飛び抜けて大きくふりかぶるし、だいいち、そうしなければOB並びに師匠がた(いつもは私もそのひとりだが)のOKがでない。

そのことに象徴されるように、他の諸々についても、「型」や「作法」といったものを重視するのが「長山型」なのであって、思うにこれは、長い間かかって「見せる」ということの積み重ねが生んだ「型」なのだ。

しかるに他の地区は、「まず、当てにかかってくる」というか「当て方を教える」。

そして、「型」は二の次である。

当然その帰結としての本番は、我が地区代表は、たいていの場合(他に比べてあまり)当たらない。

しかしそのなかでも特に、何回やっても、相変わらず「当たらない」このおじさんは思うのだ。

そもそも目的が違うのだと。

そりゃあ、当たらないより当たったほうがずっといいし、当たらなけりゃ悔しい。悔しくて悔しくてたまらない。そうなると、後ろに居並ぶ身内のギャラリーも悔しくてたまらない。その相互作用で、当の本人は「悔しくて」の何乗だか訳がわからなくなるぐらい悔しくて、そこでまたリキんで当たらなくなる、という負の循環に陥ってしまうのである。

だがしかし私は、私の息子にも甥っ子にも口を酸っぱくして説いたように、まずは「儀式性」というものを大事にして、「型」や「作法」の諸事万端を勤めあげたうえで初めて、当たるか当たらないかをいうべきなのだ、

それでこその伝統行事なのであると、悔しさまぎれかもしれないが、そう思うのである。

とかなんとかいう私はしかし、今回で4回目の「弓引きさん」となった。

私なりに考えて、たどり着いた引き方はこうだ。

(構えで)胸をはる。

脱力する。

大きくふりかぶる。

(引きしぼるときにまた)胸をはる。

脱力する。

矢をはなつ。

この間合いのなか、息は、ゆっくりと吐いて吸って最後はとめる。

前日練習の今日、53歳のこの私がそんなこんなをあれやこれや考えて弓を引いても、こと「当てる」ということに関しては、「当てる」ことだけを練習してきた少年たちのほうに軍配があがってしまう。

このおじさんにセンスがないのだ、と言われてしまえばそれまでなのだが、少なくとも我が地区代表の少年2人には、「型」と「作法」を第一義に考え勤め上げ、その結果としてたとえ当たらなくても、私は、彼らの頭をグリグリと撫でてやろうと思うのだ。

 

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北川村のお弓祭り(その16) ― Yおじさん

2011年01月06日 | 北川村のお弓祭り

 

「北川村 弓祭り」といった類の検索ワードで、このブログを訪問してくれるかたの数が、年が明けてから増加。

「北川村のお弓祭り」と題して、つらつら書き連ねてはいるが、そこはそれいつものように、私事の羅列でしかないのはご勘弁していただくとして、この際だから、ちゃんとした紹介をしようと思いついた。

引用ではあるが、ぜひ、お読みいただきたい。

 

『星神社のお弓祭り』(高木啓夫著、2009年、星神社お弓祭り保存会発行)より

 

 木積の星神社の弓祭りは、二年に一度の祭りである。西暦奇数年の正月八日の初春の祭りである。土佐日記の「なはの泊」で知られる奈半利の町から奈半利川に沿っていく道筋は、さらに狭い谷間に沿うてその道幅を狭めていく。星神社はこうして登りつめた標高三百メートルほどの山上にある。数百年の樹令をみせる巨木の茂みの中である。P.1)

 あちこちと祭りや民俗芸能を尋ねていったなかで、星神社の弓祭りも印象深いものの一つである。正月八日という寒さの中で大きく燃える焚火で体を暖めては矢筋を追い、思わず矢声を発して寒さを忘れる一日である。山径をやっと登りついての昔に較べて情緒は今風になったが、村をあげてこの祭りをいつまでも続けるべく努めているさまは、それが山峡の一寒村であるだけに、しみじみとしたものが感じられる。

 そのことの中で若者は故郷への思い出、愛着を深めていくだろうし、それはまたこの祭りを未来あるものに、村の繁栄にも連なっているといえよう。この祭りは中岡慎太郎とともに、村の歴史、村人の育ててきた象徴なのである。あとがき、P.68)

 

私とて、高木さんが「あとがき」に書かれているこの文章を読むと、しみじみとした想いを抱く。

残念ながら現実には、星神社のお弓祭りは「村の繁栄にも連なって」いないし、「中岡慎太郎とともに、村の歴史、村人の育ててきた象徴」でもない。

今後そうなることも(たぶん)望みは薄いだろう。

なんとなれば、この祭りの主体となっているのは、北川村の一部分である4集落の人間たちであり、そのなかにおいてさえ、お弓祭りに対してはかなりの温度差があるのだ。いわんや、村全体においてなど、推して知るべしである。

しかし私は、高木さんに深く同意する。

消え去ったはずの老兵である私自身が、身を切るような冷たさの西谷川にフリチンで浸かり身を清め、寒風にボウズ頭をさらしつつ、片肌脱いで稽古をする。

だが1月8日の本番はこんなもんではない。冷静に考えてみたら、文字どおり「年寄りの冷や水」である。

じゃあわかっていてなぜするのか?と問われたなら、

この祭りは中岡慎太郎とともに、村の歴史、村人の育ててきた象徴なのである

と私は信じている、というか、そうならなければいけないと信じている。

と、大いにリキんで、答えてみようか。

おっと、お弓祭りを(きちんと)紹介するつもりが、とんだ所信表明になってしまった。なにはともあれ、無事つとめあげねば、だな。

 

北川村のお弓祭り(稽古風景) ― Yおじさん  

前からのアングルには耐えきれないので、後ろ向きで失礼します。

 

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北川村のお弓祭り(稽古風景) ― M少年とT少年

2011年01月04日 | 北川村のお弓祭り

 

私が初めて「弓を引いた」のが1976年、今から35年前のことである。

ってあれ?北川村星神社のお弓祭りは2年に1回行われるのだから、奇数はおかしいんじゃないか?とは思ってみたものの、ま、そんなことは些細なことであって、だいたいそれぐらい前である(としておく)。

そのころの「弓引きさん」へのレクチャーの仕方というものは、それはそれは理不尽なものであって、最近までそれは続いていた。つまり、「おじさんたち」や「おじいさんたち」が酒を呑みながら、めいめい好き勝手なこと(まあたいていはディテールですな)を、次から次へと「教える」。

そのころの私にとって、それはとても「学ぼう」という意欲の湧くようなものではなく、ただただ理不尽なものでしかなかったのである。

そして2011年。今回の私の立場は選手兼任コーチのようなものなのだ。

当然今でも、昔のような「教え」かたをするかたたちがいる、のに対して私は、自分で言うのもなんなのだが、じつにソフトな先生である。

なぜか?私は、自分になされた「理不尽」と同じことを、若い人に繰り返したくないからである。

そして、そんな理屈に合わない教え方では、「今という時代」を生きる少年たちには分かってもらえないと思うからである。

しかしだ。一方でこうも思う。

あの、どうしようもなく理不尽なものにこそパワーがあって、「今という時代」とかなんとか思いながら、ソフトに語りかける私なんぞは、じつはヘナチョコなんではないかと。

我が身が受けた「理不尽」を次の世代にも伝えていくという行為のなかに、伝統というものの本質の相当部分があるのでないかと。

大筋を見ようとはせず、ディテールにこだわって少年たちを「指導」しようとする「おじさんたち」や「おじいさんたち」を、今この歳になり選手兼任コーチの立場で観察していると、

これはこれで、良いところがあったのかもしれないなと「理解」のような感情を持ってしまいつつ、

「ワシは、やらんもんね。」と内心思う。

もちろん、そんな小難しいことを考える必要性はなんにもない、のであるが・・・。

 

北川村のお弓祭り(稽古風景) ― M少年とT少年

 

 

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お弓祭り(その14) ― 少年たち

2011年01月03日 | 北川村のお弓祭り

 

 

我が集落から今回参加しているのは、53歳の私を含め、全部で4名。そのうち二人は中学生と高校生である。

その少年二人を横目に見ながら、いつもなら指導する立場の私は、青息吐息になりながらもなんとか稽古3日目を終えることができた。

やはり、「北川村星神社のお弓祭り」は、少年が射手となるのが相応しい。

50を過ぎたおじさんでは、観ている方も力が入らないだろうと、当の本人自体がそう思ってしまうのだが、いかんせん少子高齢化の先端をいくような村の、そのなかでも中心部ではなく、外れに位置する4つの集落で行われている行事なのだ。

もちろん、現住する人間だけでまかないきれるはずもなく、そのたびそのたびに縁を頼って射手をかき集めているのは、致し方のないことであり、

そうなると今後は私のような年格好の人間の出番も増えようというものなのだろうが、

やはり、少年たちはいい。

間違いない。

 

 

 

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お弓祭り(その13) ― 寒い朝

2011年01月02日 | 北川村のお弓祭り

 

 

 北風吹きぬく寒い〜朝も 心ひとつで暖〜かくなる

           『寒い朝』(作詞佐伯孝夫、作曲吉田正)

なんて歌ってみても、気休めにもならないぐらい、早朝の西谷川は冷たい。

自身4回目となるお弓祭りであるが、今まででもっとも辛い禊(みそぎ)だと感じるのは、年をとったせいか、それとも実際に氷点下までさがった外気温のせいか、

どちらも、としか言いようがない。

寒いというか、痛いのである。

 

 

ほんの少し前に来たであろう、隣家の少年の足あとは、すでに凍りついている。

というか、踏み出したそのひと足が氷となっているのだ(たぶん)。

そんな状況下で行われる禊も、ただ水に入ればいいというわけでもなく、そこには作法というものがあって、水に入る前、そして水に入っている最中には文言(もんごん=呪文)を唱えなければならない。

すなわちそれは、

「一水神や天の川、七十閻魔の水起こし、アビラウンケンソワカ」であり、

「南無そう八幡大菩薩、にくじき本体神のまにまに、天竺のたつ田川の水を口にくくめば、六根清浄と身を清め、肩にかければ不動の袈裟、・・・・・・・・」なのだが、

水から上がった私の頭の中では、またしても、気休めにもならないこのメロディーが流れるのだ。

   北風吹きぬく寒い〜朝も 心ひとつで暖〜かくなる

 

 

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お弓祭り(その12) ― 親子

2011年01月01日 | 北川村のお弓祭り

 

 

北川村木積星神社。

 

正直なところ、不安がなかったわけでもない。というか、あった。

この年になって「弓を引く」ということにである。

この地域で「弓を引く」ということは、お弓祭りに(射手として)参加するという意味であって、それは普通、私のようなおじさんがやるべきものではない。

酒を飲んでうだうだと言っているのが、「正しいおじさん」のあり方なのだ。

そんな不安をもちながらの稽古初日がやっとこさ終わった。

寒い。頭も身体も寒い。

しかし、なんとかやりきれそうな感じではある。

なんといっても隣りでは息子が稽古をしているのだ。途中で投げ出すわけにはいかないし、半端な姿は見せられない。

ふーっ、とひと息つき、また明日なのである。

 

 

 

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お弓祭り(その11) ― 射場

2010年12月29日 | 北川村のお弓祭り

 

射場。

「しゃば」ではない「いば」である。

年内は会社に出勤しようと計画していた私なのだが、気がつくと、今日はワックスがけの日であって、事務所のなかは立ち入り禁止なのである。

というわけで、思わぬ休みをいただいた今日は、きのうの忘年会の酒を抜くために、たっぷりと朝寝をさせてもらう。

そして遅い朝、外へ出てみると射場が出来ていた、というわけである。

 

 

家の中では女子衆(おなごし)が、お弓祭りの準備に余念が無い。

なんとなれば今回は、私と私の息子、親子二人で引く「お弓」なのである。

私の記憶に間違いがなければ、史上3例目のはずだ。

無事勤め上げることが出来るよう、女子衆とともに墓掃除をして先祖様に祈るのであるが、

「こんな珍しいことが起こるとは、あたしゃ来年生きちゅうろうかねえ」と母親に笑いながら皮肉られる始末。

何ごとも、「普段の行ない」なのであるな。

 

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