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書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

ポエトリー・スラム・ジャパン2016全国大会、優勝しました。

2016-03-07 16:00:44 | 出たもの
昨日、浅草のアサヒ・アートスクエアにて開催されましたポエトリー・スラム・ジャパン2016全国大会、優勝することができました。

ポエトリースラムというのは非常に残酷なゲームだと思います。

相手と対戦するゲームの形式をとっていながら、その勝敗に客観的な基準があるわけではありません。綺麗な技を極めれば一本になるわけでもないし、どのテクニックが何点と決まっているわけでもありません。そこにあるのは、究極的には、そのパフォーマンスが一人一人のジャッジの心、つまり他の誰からもうかがい知れないブラックボックスに対してどれだけ届いたか、というまことにボンヤリとしたものです。そのボンヤリとした部分に勝敗、あるいは結果がかかっています。

そのことが何に似ているかと言えば、人生に似ているのだと思います。

例えば人を好きになったり嫌いになったり、例えば何か大切なことを決断したり。やることにしたり、やらないことにしたり。

ひとりの人間がそれらの岐路を自分の足で選び取る時、「客観的で明確な基準」などあるはずがありません。

出場者はその時その場において、自分自身にしかわからない何らかの理由によって読む詩を決め、パフォーマンスする。ジャッジはその時その場において、自分自身にしかわからない何らかの理由によってそれを採点する。オーディエンスはたった一度しかない、それらが邂逅する瞬間を目の当たりにする。何が正しくて何が間違っているのか、そもそもそれが正しいとか間違っているということは本当なのか。しかし、出場者はステージでパフォーマンスしなければならないし、ジャッジは採点しなければならないのです。そのことは、人間の内心の自由というものが本質的には全てを動かしているということを、如実に表していると思います。マイクの前で、出場者は自由です。同時に、ジャッジもまた自由なのです。それを見て何かを思う、感じるオーディエンスもやはり自由なのです。客観的で明確な基準がないのなら、人間は自分の人生の中で得た何か、他人からは窺い知れない自分の内心というブラックボックスに即して物事と向き合うしかないのですから。

そのようなゲームにおいて、私は昨夜、優勝という結果を得ることができました。

しかし、あの時あの場に居合わせた皆様の心の中には、ひとりひとりの人生の鏡に映ったそれぞれの最高の詩人がおり、それぞれの最高のパフォーマンスがあったと思います。それらは全て真実だと私は思うのです。地方大会、そして今回の全国大会をご覧になった、合わせて何百人かの皆様の心の中には、何百通りかの最高に輝く詩人、詩の瞬間があったはずです。

これがスラムである以上、私はこのゲームに勝ちたいと思って出場しておりましたが、準決勝と決勝で一度ずつ、「これは負けるな」と真底感じた瞬間がありました。負けるのは覚悟しても、やはり自分の番が来たらステージには上がらなければなりません。時間が経てば物事がやってきて、時間が経てば物事が去ってゆく。ポエトリースラムは人生に似ています。

私が出場詩人の中で最高の詩人であったなどとは1mmも思っておりません。これから先も思うことはないでしょう。ただ、私は今回のポエトリースラムで日本代表という立場を頂きました。そのことを受け止め、私という人間の内心の自由に基づいて精一杯準備し、5月にパリで開催されますワールドカップにおいて、自分にできる最高のパフォーマンスをしてきたいと思います。ひとりの声と言葉のパフォーマーとして、私にできることはそれしかありません。

全ての皆様に感謝を。

それでは、今夜も朗読ライヴに行って参ります。


大島健夫

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