家族観、ことに親子の関係は、年齢をかさねるほどに変遷してゆくものだ。
個々の生い立ちやそれにより培われたパラダイム、さらには学術的に掘り下げてみれば多岐にわたる議論が必要になりそうだが、ここでは私の目線で分析し、体験や心境にまかせて、私の場合にかぎって考えてみたい。
幼少期から少年時代にかけては親の庇護のもとでゆるりと暮らし、自我の目覚めから青年期までは、みなぎるエネルギーにまかせ奔放に時をやり過ごし、家族にはあまり目を向けることがなかった。
結婚したての、社会的に大人の仲間入りを果たした揺籃期(ようらんき)には、夫婦間の考え方、ものごとの捉え方のすれ違いに戸惑ってばかりいた。
そして新しい家族を形成し果たすべき役割がはっきり自覚できるいま、成熟期を迎えたのであろうか、私の家族観は大きく変容していることに気がつく。
私の立ち位置であるが、年老いた両親との関係にあっては「 子 」である一方、愛妻の「 夫 」であり二児の「 父親 」という両面を持ち合わせている。
どちらも大切な「 親族 」である。
さて「 親族 」と書いた。
「 親族 」と「 家族 」の違い、これこそが私の家族観の変容を明らかにするキーワードといえそうだ。
「 子 」の私にとって、親は庇護と抱擁をさずけ生きる力を与えてくれた、かけがえのないバックボーンである。
決して豊かとはいえなかった環境のもと、生み育ててくれた親の労苦やさまざまな苦悩は、いま「 父親 」を生きる私にも身にしみて理解できる。
老いた両親の限りあるいのちを思うとき、報恩の念があふれる。
ましてや、故郷につながる道のりは遠く、まるで別々の宇宙に住んでいるかのような錯覚にさえおちいる。
ときに、遥か南の島に思いをはせ、触れ合えないもどかしさに気が変になるのでは、と悶えるほどだ。
いま、「 子 」の私の心は、親子の情愛というより、報恩と懐かしさと慈愛の目で両親を迎えている。
そこにはもう、親に甘えすがりつく「 子 」の影は想い出にすぎず、現実の世界に飛び出すことはない。
懐かしい旧友に再会するような、おとな同士の関係に似た一面もある。
天秤にかけることはできないが、「 夫と父親 」の私は、いま明らかに「 子 」の私を超越している。
連れ添って12年の星霜をへた妻は、いまの私にはこの世の中でもっとも大切な存在だ。
紙幅がかさむので詳しいところは割愛するが、数年前、「 子 」の私の‘ 親族 ’と「 夫と父親 」の私の‘ 家族 ’とどちらを取るか、という究極の選択を迫られる出来事があった。
親族間の大きなトラブルにみまわれ、どん底は過ぎたものの解決の道が見当たらないまま、苦悩の日々は何年も続いている。
身を挺して極限まで耐え、実に献身的だった妻の姿を、真正面から目撃していた私には、迷う必然性はなかった。
‘ 親族 ’と‘ 家族 ’のどちらをとるかという選択も、実のところは究極ではなかったのだ。
妻と子どもたち‘ 家族 ’より大事なものなど、この世に存在しないという真実を全身で実感した。
‘ 親族 ’であるいじょう、これはこれでいろいろな要素があるわけで、いまでも適度な関係は保っているが、トラブルの直接の原因をつくった個々との関係は完全に絶っている。そこには未練など、かけらすらない。血縁に囚われていてはあまりにも愚かであろう。
肝要なのは、真実なのだから。
子どもに対する愛情はいうまでもないが、真実を知るがゆえに、私にとって妻ほどいとおしい人間は全宇宙を探し回ったとしても存在し得ない。
自身の命に代えても守るべき大切な‘ 家族 ’といっしょに暮らせる喜び。
揺籃期(ようらんき)の私には、まったく予想することはできなかったことだ。
愛する子どもたちもいつかは、それぞれに新しい‘ 家族 ’とともに新たな人生の帆をはるときが必ずおとずれる。
私がこうあるように、子どもたちにも、かけがえのない‘ 家族 ’とともに暮らす喜び、この世の中で、自身の親よりいとおしい伴侶、‘ 家族 ’をもつ日がきっとくるだろう。
離れゆく子どもを前に、親としての寂しさはひとしおであろうが、そのときには私の思いを伝えてあげたい。
おめでとう、と。
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