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映画『東京家族』について

Kenzaburô Ôe’s Speech at the Hibiya Open-Air Concert Hall on April 8, 2014.

2016年05月16日 | (仮置きカテゴリー、英語,未訳)
【2016.5.16~ 追記】



【※投稿日 2014・4・9】
http://www.labornetjp.org/news/2014/0408shasin(レイバーネット)

英訳予定ですが、いつになるかはわかりません(笑)。











『2014年4月8日 日比谷野外音楽堂』  大江健三郎
Kenzaburô Ôe’s Speech at the Hibiya Open-Air Concert Hall on April 8, 2014.

私は小説家でございまして、マイクがあってもなくても元気がないという事は(  )しているんですが、しかし、この大きい集会で、それから大きいデモが始まる前に、時間をいただいてお話しできることをありがたく思っております。
I am a novelist and am understanding myself that I have not the vigorous nature with or without a microphone. But I’m very happy to talk to all of you for this large assembly, and you spare the time before the huge demonstration.

本当に心から望んでおりました。

しかし小説家ですから、まず文学に関する話をほんのちょっとして、落ち着きたいと思っているんですが、今年があの夏目漱石という小説家の『こころ』という小説の、とても大切な小説ですが、100年記念の年だという事は御存知でしょう。

ちょうど100年前に、あの夏目漱石は『こころ』を書き、また、いくつかの非常に大切な講演会をしております。

その講演のひとつで、もしかしたら皆さんが御存知ないと思う事ですが、漱石という人は、デモンストレーションという言葉の翻訳ですが、彼は英文学者ですから、デモンストレーションという言葉を翻訳して「示威運動」、威力を示す「示威」ですね、それに運動をつけて「示威運動」という訳語を作った人は漱石なんです。

そしてその漱石の言葉は、少しも流行しませんでした。

おそらく、こういう所で誰かがばらした、初めての100年間の、初めての人間は私だと思います。

しかし、漱石は「示威運動」という事が重要だと言った。

ちょうど明治という時期が、明治天皇が亡くなって、明治が終わった年でした。

ほぼ100年前です。

その時に漱石は講演をしまして、例えば『私の個人主義』というとても有名な講演がありますね。

その中でこういう事を言っているんです。

「これから日本は非常に難しいところに入るんだ」と。

そして、日本が模範とすべき社会、国として、例えばイギリスというものがある、と言うんです。

そして、イギリス人は、「彼らは」と漱石は言ってますが、「彼らは不平があると、よく示威運動をやります。」

すなわちイギリス人というのは、一応社会を安定したものとして進めているのだけれども、それでも不満があると、非常に危ない、という事を感じ取ると、示威運動をする人たちなんだ、と彼は言っています。

すなわちデモンストレーションをする人たちだ、という訳です。

皆さんが今やっていらっしゃる大きい集会は、示威運動なんです。

そしてこれから行われる行進は、それこそ、文字通りのデモンストレーションであります。

そして、日本で示威運動という言葉が流行しなかったのは、日本にずっとデモンストレーションというものがない社会体制だったからです。

そして漱石が死んで30年経って、あの大きい戦争が始まりました。

そして私たちはヒロシマ,ナガサキを経験して、あの戦争に敗れました。

そして今から67年前ですが、私は12歳でしたが、日本人は新しい方針というものを作った。

新しい明治の人間が、明治の精神というものを作って、国家を、なんとか、あれだけ推し進めたように、日本人は今から67年前に、新しい憲法を作りました。

そしてその憲法を自分たちの、新しい精神として、新しい時代の精神として、生き始めたわけです。

私はもう79歳でして、あと何年も生きないと思いますが、その私から申しますと、私の人生というものは、この新憲法という時代の精神のなかで、行われたんです。

戦争をしない、そして民主主義を守る、という根本の精神が、すなわち、私の生きた時代の精神なのです。

そして、それを私は死ぬまで、そんなに遠い時間じゃありません、守り抜きたいと思っています。

そしてですね、今、どういう時代であるか、夏目漱石が先程言いました、非常に危ない時代だと言ったのは、明治の終わりにも、彼はそういう危機を感じ取っていたからです。

今のまま、明治のあと、日本が進んで行くと、大きい行き詰まりに出会うに違いないと、彼は言った。

そして30年経って、あの戦争が起こり、そして私たちはヒロシマ,ナガサキを経験して大きい敗北をしました。

そして、私たちが作った新しい時代の精神というものが憲法だった。

そしてその憲法を守って67年間私たちはやってきたわけです。

ところが今の政府はどうしているかというと、その時代の精神を、このいろんな犠牲によってできあがり、そしてそれを私たちがとにかく67年間守り抜いてきた時代の精神をぶっ壊してしまおう、という事です。

それも民主主義的な方法ではないです。

内閣が決議して、そして、例えば日本が集団的自衛権というものを行使して、アジアで行われる、あるいは世界に広がっていくかもしれない戦争に、直接参加する、という事です。

それが私たちがやろうとしている、今、自分たちの憲法の、平和主義の、そして、民主主義の、私たちの原理をぶっ壊してですね、67年間それを政府、保守的な政府すらも守り抜いてきたものを、民主主義的でない方法で、国民投票も何もなしに、一挙にぶち壊して新しい体制に入ろうとしている訳です。

そしてそれに、私たちができる事は何か、もちろんそれに抵抗して、次の100年とまでは言いませんが、次の10年20年の、日本の平和、民主主義というものを守る、アジアの平和、アジアの民主主義を達成することを、共に協力する、そして世界の、という方向に来ている、そういう大きい、もしかしたらこの100年で、漱石の演説以来、100年のうちで、今、日本人の精神がもっとも危ないところに来ているという風に私は思います。

そして、この時代の精神を、私たちは戦争をしない、民主主義を守るという、この67年間続けてきた時代の精神を守るために私たちが取り得る方法は何かというと、彼の言う示威運動、すなわち、デモンストレーション、そして、こういう大きい会しかないんです。

私たちが未来の子供たちに、次の100年とは言いません、次の10年、15年の次の世代のために私たちが守り得る時代の精神、そしてもっとも大切な、もっとも難しい仕事というものが、こういう、この集会、このデモからはじまるんだと、いうことを改めて私ども、強く自覚したいと思います。

しっかり歩きましょう








(※ 2014.10.10に『FOUR QUARTETS』 T.S.ELIOT をこの記事に転記。)


“Why should we celebrate
These dead men more than the dying?
It is not to ring the bell backward
Nor is it an incantation
To summon the spectre of a Rose.
We cannot revive old factions
We cannot restore old policies
Or follow an antique drum.
These men,and those who opposed them
And those whom they opposed
Accept the constitution of silence
And are folded in a single party.
Whatever we inherit from the fortunate
We have taken from the defeated
What they had to leave us― a symbol:
A symbol perfected in death.
And all shall be well and
All manner of thing shall be well
By the purification of the motive
In the ground of our beseeching.”



“The dove descending breaks the air
With flame of incandescent terror
Of which the tongues declare
The one discharge from sin and error.
The only hope,or else despair
  Lies in the choice of pyre or pyre―
 To be redeemed from fire by fire.”




“Who then devised the torment? Love.
Love is the unfamiliar Name
Behind the hands that wove
The intolerable shirt of flame
Which human power cannot remove.
 We only live,only suspire
 Consumed by either fire or fire.”


“What we call the beginning is often the end
And to make an end is to make a beginning.
The end is where we start from. And every phrase
And sentence that is right(where every word is at home,
Taking its place to support the others,
The word neither diffident nor ostentatious,
An easy commerce of the old and the new,
The common word exact without vulgarity,
The formal word precise but not pedantic,
The conplete consort dancing together)
Every phrase and every sentence is an end and a biginning,”




「Over the Rainbow」

























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