散日拾遺

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読書メモ ~ 『ホットケーキで「脳力」があがる』 ・・・ それとも人間をやめますか?

2015-07-25 07:41:29 | 日記

2015年7月25日(土)

 昨日の行き帰りに読みました。以下、抜き書き。

 

第1章 「何かがおかしい」子どもたちが急増

 ゲームをしているときの脳活動をくわしく調べると、ゲーム中は脳に強い抑制がかかることがわかりました。(・・・)そしてゲームで遊んだ後に何か別の作業をすると、脳全体がうまく働けないということもわかりました。要するに、ゲーム後はしばらく脳がマヒしたような状態になってしまうのです。

 一方、単純な計算をしているとき、右脳も左脳も前頭前野がしっかり働いていました。一桁のとても簡単な計算ですから、それほど脳の働きが必要ではないだろうと考えていたのですが、全員一様に活発に働いていたのです。

(P.9~11)

 親になってからどころか、それ以前、男女が出会ってデートしているようなときからお互いにスマホを片時も手放さないようなことが、ごく普通になっています。食事をしているカップルが、話もせず、顔も見ず、それぞれのスマホをいじっているというのは、今やごく当たり前の光景です。

 だからこそ、子育て中はあえて意識して、スマホや携帯電話を介在させない状況を作り、その中で親子がしっかりと関わるという取り組みをしなければいけない時代になったのではないかという危機感を、私自身は非常に強く抱いています。

(P.18~19)

 高校生の頃に、仕方なく携帯電話を持たせましたが、「夜寝るときと、勉強をしに自分の部屋に行くときは、携帯電話は必ず居間に置いていく」ということが、買ったときの約束でした。子どもがそれを破ったときには、携帯電話は没収、登校以外の外出は禁止、自宅では自室に蟄居処分にしました。

 家庭内での約束は一番大事な約束ですから、それを破るのは万死に値するほどのことだと学んでほしいと思ったのです。もうすぐ30歳になる長男がたまに帰省した時に、朝、彼のスマホがぽつんと居間に置かれていることがあります。少々やり過ぎたかな、と胸がチクリとします。

(P.26~27)

 

第2章 すべての子どもに必要な「朝ごはん」

 非常に深刻なのは、小学校の低学年以下の子どもがいる半数以上の家庭で、子どもと一緒に朝ごはんを食べていないという事実が浮かび上がってきたことです。その原因がどこにあるのか、私たちも非常に知りたいところです。子育てにおいて、これほど深刻なことはないのではないでしょうか。(P.52)

 

第3章 朝食の「質」と「摂り方」でこんなに変わる

 ここで奇妙な数字の一致があることに気がつきました。朝ごはんでおかずを食べていない子どもたちの割合が約4割、そして、朝ごはんの栄養バランスを意識していない保護者の割合も約4割です。偶然かもしれませんが、親の意識が子どもの朝食の実態にそのまま反映されている様な気がしてなりません。(P.71)

 母の体が弱かったことから、中学2年生のほぼ1年間、朝ごはん作りは私の仕事でした。父、母、妹、自分の朝食を準備し、お弁当が必要なときはお弁当を作り、普通に中学生活を送っていました。(P.77)

 子どもたちの知能指数と朝ごはんの主食の関係を調べていくと、米のごはんを食べている子どもたちの方が、パンを食べている子どもたちよりも、知能指数が高いというデータが出てきました。ただし、統計的にはそんなに強い傾向ではありません。「差がありそうだ」という程度のデータです。(・・・)朝ごはんで主食に米のごはんを食べる子のほうが、パンのごはんを食べる子よりも大脳の灰白質の体積が大きいことがわかりました。(P.81)

 パン食をしている人は、できれば全粒粉のパンに切り替えたほうがいいと思います。(P.87)

【註: 著者自身は ~ 僕と同じく ~ 朝ごはん「パン」党である。なので最近はパン焼き器を買ってきて、玄米を使って自分で米のパンを焼いて食べるようにしているという。】

 

第4章 「ホットケーキ作り」がもたらすもの

 子育て中の親に、たとえば、「週に一回でいいので、1日10分か20分、お子さんと一緒に何かをしてほしい」などとお願いすると、みなさん口をそろえて「忙しいから難しい」と答えるのです。「忙しくてとてもできない」と真顔で断れられるたびに驚きを感じました。

 「自分は仕事を持っているし、少ない時間の中でも子どもたちと一生懸命がんばって関わっています。そんな状況で、さらに新しく何かをするというのは不可能です」などと言って、最初は断る人がほとんどでした。

 そのうち、どう切り返せばいいかを学んでいきました。「忙しい」という人に対して、まずはそのことに共感を示してから、「ちょっとお尋ねしたいのですが」と切り出します。「そんなお忙しい中、御家庭で、御自身でスマホを何分ぐらいいじっていますか?TVはどれぐらい見ていますか?」と聞いてみるのです。これは結構効果があり、多くの親御さんの顔色が変わりました。

(P.104~105)

 実験を始めてみると、その結果以上に面白いことが起こりました。

 「自分のこれまでの子育ては間違っていたかもしれない」「一生懸命子どもと関わってきたつもりだったけれど、子どもと一対一できちんと向き合っていなかった」「子どもに声がけをする、子どもの表情を見る、という当たり前のこと、それを意識して、ほかのことをせず、子どもに集中したことがなかったかもsりえない」などということに、自発的に気づく人が多かったのです。

(P.107~108)

 

第5章 「早寝、早起き、朝ごはん」のためにできること

 TVを長時間見ていると知能指数が下がります。さらに、もっと深刻なことには、TVを長時間見ている子どもたちは、大脳の前頭前野を中心として脳の発達が悪くなっているということもわかりました。

 通常私が記者会見すると、”脳トレ教授”が何かおもしろいことをやるかもしれないということで、ほぼすべてのメディアがきてくださるのですが、このときばかりは、NHKを含めてテレビ局は一局も来ませんでした。

 メディアというものの真実が、ここにあるのかもしれません。今の日本のメディアは、自分たちにとって都合の悪い情報は、それがなかったことになるまで口をつぐんで、じっと待っているというところがあるように思います。

 実はこのデータは、発表してすぐにアメリカやヨーロッパから大反響があって、子どもの教育にとってこんなに重要なデータはないと大騒ぎになったのですが、日本ではまったく無視されたのです。

 アメリカでは、子どもだけではなく、TVを見る時間が長い大人はアルツハイマーになりやすいというデータまできちんと出ているのですが、これは日本はもちろん、本家のアメリカでもメディアではほとんど報道されていません。

(P.140~141)

 今までは、スマホや携帯電話を長くいじっていると、その分、家で勉強しないから成績が下がるのだという解釈がされていたのですが、そんなものではなかったということです。これは、子どもたちの脳の中から、学校で学んだ情報が消えたという大変ショッキングなことを意味しています。

(P.144)

 おそらく何らかの意図を持った(私はスポンサーの意を汲んだと邪推しています)新聞記者が、記者会見の翌日にかみついてきました。

(P.146)

 

第6章 脳のさらなる可能性

 (作業記憶力のトレーニングとして)心理学の世界で一番使われているのは、「Nバック課題」と呼ばれるトレーニング方法です。

(P.178~179)

【Nバック課題!! う~ん、これは御勘弁・・・なんか、もう少し楽しいのはないかな、碁では代用できないかな、う~ん・・・】

 子どもたちにとって、積極的に脳を鍛えるということを一番健全な方法でやるのは、おそらく学校の勉強を一生懸命やることなのだろうと私たちは考えています。(・・・)寺子屋では、さまざまな身分の子どもたちが、読み・書き・そろばんを和尚様に習うということを、全国津々浦々でしていました。実はこのことこそが、当時の日本国民全体の能力を高めるうえできわめて有効だったのではないかと思うのです。

(P188~189) !!!!!

 これまでたくさん講演を行ってきて非常におもしろいと思ったのは、女子生徒たちは「自分たちには子どもを産まないという権利はおそらくないだろう」という答えが多く、「たとえ生まない権利はあったとしても、私はぜひ子どもをもちたい」という生徒も多いこと、これに対して男子生徒たちは8~9割が「生まない権利は間違いなくある、人の長い歴史があることはわかるけれど、それより自分の意思が大事だ、産むか産まないかは自分とパートナーが決めることであって、歴史が決めることではない」というのです。

 こうした議論を聞いていて、非常にたくましい、いいこどもたちだと感心します。このような問いかけにもよく考えて自分なりの意見をしっかり述べることができる子どもたちがいることに安堵します。それと同時に、今の教育の中では、大きな歴史の長い時間の流れの中で自分たちの存在価値や生きる意味をとらえていくトレーニングが、あまりなされていないということに少し不安を覚えるのも事実です。

(P.200~201)

 

さいごに

 平成27年4月、信州大学の入学式で学長先生が、「スマホをやめますか、それとも信大生をやめますか」と語りかけたと報道されました。それに対して、スマホなしの生活はあり得ないとのコメントが若者たちから出ているのを見ました。私が、独裁者としてこの国を自由にしようと企んでいるとしたら、信州大学長の存在に恐怖し、学長の言葉の意味を理解できない若者がたくさんいることに安堵します。自ら深く考えることを放棄した人間ほど、支配しやすい存在はありません。

 つまり、この若者たちの短絡的な反応は、私たちが恐れていた時代がすでに到来している証なのです。

 

 私も、学長先生と同じその重要な問いを繰り返します。

 スマホをやめますか、それとも人間をやめますか?

(P・205) 

 

 

 

 

 

 


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