生野 宏宜の石彫

彫刻家 生野 宏宜 の宇宙
高知県の清流仁淀川の川原石に彫刻をすることで何かを社会に発信したいと考えています。

脱藩のすすめ その2

2006年03月14日 23時49分22秒 | Weblog
           「ばぁーっ!」 h-25cm 1998制作

今の流れに乗ったままだと、少子高齢化、無人の中山間地、荒れるに任せる山と森川や海は間違いありません。
日本の行く末に不安がある場合、「土佐県の独立」の道もあるのではないでしょうか。
精神的、文化的あるいは経済的に自立する道です。
他県や国との交流の中に依存関係を排除できたらいいのですが。

まずは食料の自給率を県内だけでも上げる。
これは達成が可能だと思います。
まだ使える棚田や耕作地はたくさん有りますし、伝統的な農耕技術も残っています。
漁業も廃れてしまってはいないでしょう。
塩も砂糖も採れるし、米も年に2度採れる国です。

医療、教育については、視点を変えればいくらでも方法はあるはずです。
現に我が家は、病院にも学校にも行っていません。
年金も要りません。

エネルギーは水力発電の他に、太陽光発電の可能性が高くなってきました。
森から出てくる木炭、竹炭、バイオマスを軌道に乗せようと必死の努力が続いています。

さらに菜の花エコプロジェクトと言って菜の花を植え、菜種を取り、油を絞ってディーゼルエンジンを動かそうと言うものです。
先日、45リットルで四国を一周したニュースでご存知の方も多いと思います。
おまけに菜種油は食べられちゃいます。
因みに菜種の国内の自給率は5%位のものです。
化石エネルギーは使ってはならないのはご承知の通りです。

土佐県は日本国から脱藩して他県をも救うべく、新しい試みを始める時ではないでしょうか。

そう思って周りをみると あっちの県こっちの県で手を振ってくれている同志がいました。

脱藩の勧め その1

2006年03月13日 21時59分29秒 | Weblog
      「思い出し笑い」   2003制作

坂本龍馬は脱藩することによって自由を得ることが出来、偉業を成し遂げることが出来ました。

腐った社会と決別することを選んだ龍馬に対し、武市半平太は社会を立てなおそうとして自らの手を血で染めたし最後は挫折してしまったのでした。

実を言いますと、現在、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を子供に読み聞かせしている最中です。

ブログをずっとサボって、暇を見つけては読んでいます。
もうしばらく掛かると思います。
遠大な事業を始めたものだとやっと気がつきましたが、もうやめるわけにも行かず
しばらくブログも休みがちになることと思います。


幕末期の日本は、インドや中国のようにヨーロッパ諸国のコロニーになる寸前でしたが、大部分の人は、「黒船」以前の世界への復帰のみを望んでいたのでした。

当時の幕府行政の日本は まさに沈み行く泥舟であり、諸藩は座してその舟に乗っているだけの危険な状態にありました。

なんだか似ていませんか、今の世界に。

どこに身を置いても危険な場合の唯一の方法は、「いちぬけた!」のみではないでしょうか。

面白くもないし得もしない、害ばかりが目に付くときは勇気を奮い起こして言いましょう。「いちぬけた!」

例えば 生命と言うものを見失った現代の医療。
30兆円を超える医療費。
病院へ言ったばかりに掛かってしまう難病。
いちぬけたしませんか?

1人1人の子供の心に向き合うことが難しい今の学校教育。
受験戦争や学歴偏重社会の無意味さ。
いちぬけたしませんか?

拡大経済の夢を追い続けて自己崩壊する現代社会。
自らの身体や心を傷つけながらジャンクフードから抜け出せない人のように、環境破壊をやめられないのでしょうか。
いちぬけたしませんか?

まずは自立できなくてはなりません。
自給自足の手段があってこそ自立したビジョンを作れます。


2006年01月17日 21時02分51秒 | Weblog
       「足」 h-8cm 1997制作

むかし フンザやラダックを旅していたとき、おそろしく深い空を見ました。

昼間でも群青色に近いのです。

目のいい人なら星も見えるのではないかと思ったほどでした。

そんな空を背景に、漆喰の建物やチョルテンが強い日光に照らされた姿は 心に焼きついています。

中でも、谷間で黄葉したイチョウの木に日差しがスポットのように当たった光景は 魂が揺さぶられる光景でした。

樹木が少なく、空気が澄んでいて 希薄だったから見られる風景なのでしょう。


子供の時から空を見るのが好きでした。

雲を見るのも大好きでした。

スペインの空、トルコの空、スリランカの空、東京の空、大分の空、高知の空。


十数年前、初めて高知駅に降り立って見上げた空は 感動的でした。

雨上がりだったせいもあるかもしれませんが、見たことがないほどに空が高かったのです。

20年暮らした東京を離れる決心をした瞬間でした。


高知の売りは何と言っても、高くて広い空です。

同じく澄んだ空ですが、とても明るい空なのです。

これは世界中の誰に見せても自慢できるものだと確信しています。

この空を支えているのが 太平洋と高い山の森、それをつなぐ沢山の川です。

これを生かすことがこの土地を愛する者たちの責務でしょう。

駅前広場の改造計画でいろんな意見を聞かせてもらいました。

初めて高知に来た人が見る風景として責任がある計画であることを思い出しました。

空を狭くする計画だけはやめて欲しいのですが。

足跡の化石みたいです。
右足でしょうか左足でしょうか?

知的所有権

2006年01月07日 23時10分57秒 | Weblog
      「石の呟き」 h-32cm 1998制作

明けましておめでとうございます。
年が明けて1週間もたってしまいました。

5日から店を開いて、夜も9時まで営業することにしました。
どうぞご利用下さい。

おかげさまで、リピーターも含めてお客様もボチボチ来てくださいます。

一段落して二人で食事をするたびに、あまりの旨さに幸せを感じ、窓の景色のよさに幸せを感じ、雰囲気のよさに幸せを感じ、こんな素敵なところはないと、勝手に感動しています。

この喜びを沢山の方にお裾分けできるように努力しなくてはと、肝に銘じる日々です。



基本は、マクロビオティックですが、菜食主義にはこだわらず、美味しいこと、楽しいこと、文化的で豊かなことを大切にしています。

食べることは重要な文化です。
文化的な提案は人生のテーマです。
アートの基本的な要素です。

いのちを大切にする生き方の提案をしたいです。


よく分からないものに「知的所有権」というものがあります。

誰のための権利なのか分かりません。

作者は、この世の中で生きていくために出会うさまざまな摩擦からビジョンを見てモノが出来ます。
思うに、何者か(宇宙だか神だか)が自分(アーティスト)というツールを使ってこの世界に 形を表してバランスを取っているのではないでしょうか。

限りある資源をコントロールしながら使うという類のものではないのです。

インスピレーションは無限であり、出せば出すほどアイデアは湧いてくるものです。

他人のアイデアに触れることで生まれてくるアイデアもあります。

活発に文化が生まれるためには、もっと自由が保障されなくてはいけません。

「知的所有権」は文化を衰退させるのではないかと恐れています。

版権を侵されて困るのは、製作者より その作品を流通させている人たちなのかもしれません。

誰に語るでもない 石の呟きでした。

再開します。

2005年12月27日 22時40分47秒 | Weblog
       フクロウ「だるまさん」 h-23cm 2002制作

突然休んで3週間になろうとしています。

超筆不精の人間がよくも続くものだとあきれていた矢先に、冷えと寝不足からというぎっくり腰に文字通り腰を折られてしまいました。

21時から0時までの間に床に就くか、それ以後に寝るかによって体の回復の度合いは桁違いに変わってくるのです。

したがって寒い部屋で、身体に合わない机椅子に座って夜更かししながらブログやってると、ぎっくり腰をやらなくても体壊すの当たり前なわけでした。

そんなわけでこれからも 休み休みブログを書いてゆきます。

12月20日の日に予定通り(強引に)開店した、自然派食堂「みんなの家」
は慣れない夫婦の手で何とか1週間目を迎えました。



すでにいくつか変更があります。

まず、8時オープンは無理だし無意味だと言うことが分かりました。
モーニングやるんだったら7時前から開けてないとお客さんは来てくれないし、そのためには5時位から準備しなくてはならないので無理かなということです。

お昼に全エネルギーを集中することにして、オープンは11時に変更します。
従ってモーンニングは無しになりました。

何かと試行錯誤でご迷惑をおかけすることと思いますが懲りずにご利用下さい。

本当のご飯の味、きんぴらの味、味噌汁の味を思い出して頂けるように頑張ります。

野菜、豆腐 牛乳 卵などの素材の持ち帰りも可能です。

お店を開きます

2005年12月09日 22時44分28秒 | Weblog
       「うずくまる」 h-13cm 2004制作

うちの奥さんがお店を開きます。

家族全員で手分けして手伝うことになると思います。

自然派食堂「みんなの家」。
場所は、高知市丸の内2丁目5-10 高知城の北 スベリ山の下です。
開店予定日は今月20日火曜日
営業時間は8:00から18:00まで
無農薬有機野菜と無添加の調味料、素性の分かる素材だけでおいしい物を出します。
自然食は美味しいことを知ってほしいのです。
マクロビオティックにも対応できます。

是非一度お立ち寄り下さい。

現在オープンに向けててんてこ舞いの毎日です。

テーブル・カウンター・棚など手作りしているところです。

お・お腰が・・・・!

2005年12月08日 21時19分22秒 | Weblog
        「ヘルメット」 h-30cm 1998制作

この間のじんけんフェスタの冷えのおかげで腰が痛くなってしまいました。

疲れと食べすぎ、それに寝不足が私の場合の原因でした。

胸に手を当てて考えるに、夜遅くまでこのブログと格闘していました。

ブログもほどほどにです。

今日はある人から凄いことを学びました。

骨盤という骨格は一つの骨ではなく、ばらばらの骨の集まりであって、それをまとめているのは「気持ち」なのだそうです。

腹がすわるとか腰が引けるとか腹を決めるとか、みんな心と体が一体であるという言葉だったのです。

ここらで気持ちを引き締めないと。


長っぽそい石を立てて彫ってみたものです。

今から見ると不満もありますが新鮮さを感じさせます。

叫ぶ

2005年12月07日 23時40分52秒 | Weblog
        「雷神」 h-20cm 2002制作

奈良市の新薬師寺に、十二神将が本尊薬師如来像を囲んでいます。

一級の作品になるのかどうか分かりませんが、代表的な奈良時代天平美術であるのは間違いありません。

天平美術の最高傑作に、有名な阿修羅像があります。

ここ新薬師寺の十二神将は、小ぶりで可愛いのですが、あの緊張感迫力はありません。

しかしユニークで愛着のある作品がいくつかあります。

婆娑羅(バサラ)大将は切手になったのでかなり有名ですが、これは写真の撮り方がとても良かったからかもしれません。
パンクなへアースタイルは今でも通用するかもしれませんが、あの表情は怒っているものではないように思えて、ミステリアスなものです。

たぶん剣を振り下ろす時に上げる気合の一瞬を描いたものではないかと考えています。

この石を彫るとき、叫んでいる人を彫ってみたくなりました。

するとだんだんバサラ大将に似てきたので、表情のつくりを参考にさせてもらいました。

今のところ制作においてモデルは使っていません。

いいものに近づけてもいいものにはならないのです。

モデルを使うにしてもあくまで参考程度にとどめておくべきです。

スピード感と鋭い叫び声がこの作品の主題です。

ジャーナリズム

2005年12月06日 22時58分04秒 | Weblog
        「指差す人」 h-31cm 1998制作

基本的に人の言うことは全て信じてしまう方です。

何事も疑って掛かっていては何も始まりません。
まずは信じてこそ、話は前に進むのです。

しかし、鵜呑みにすることはしていません。

その人にとって真実でも、別の人には当てはまらないこともあります。

虚実をもって人を騙そうとする人は少ないと思いますが、吟味することを怠ってはいけません。

どんな情報でも、多くの視点で把握すれば実像が見えてくるのです。

日本人にはあまりいませんが、インドあたりで物を尋ねるとみんな親切なのか、自分の知らないことでもきっぱりと教えてくれます。

別に悪気はないのです。
問い掛けられたことに答えることが 人の役に立つことだと信じているに違いありません。
間違った情報でその人がどんなに迷惑しても、それはその人のカルマだと言うことなのでしょう。

そんな世界にしばらくいると、情報を吟味する癖がつくと言うか、それが当たり前になってきます。

そんな目でニュースやテレビ番組を見ていると、かなりあやしい情報ばかりであることに気付きます。

ジャーナリズムも同様に吟味を怠らずにチェックしなければならないのです。
政府の見解を正確に伝えることが出来ても、世論を正確に伝えることは出来ません。

世論を動かそうとしている情報もあれば、世論に合わせようとしている情報もあります。

それらを見極めて、背後にある事実真実を見抜くには、研ぎ澄まされた想像力が必要なのです。


この指差す人も、何かを推理しているのかもしれませんし、取材しているジャーナリストかもしれません。

「再会」

2005年12月06日 00時33分38秒 | Weblog
       「再会」 h-15cm 2001制作

残留日本人孤児の話も少なくなって来ました。

これも時の流れのせいなのでしょう。

友達に、母親の帰国についてきた家族がいますが、彼は立派な中国人でした。

中国で暮らすより日本の方がしんどいと言っていました。

しかし、時代が変わるごとに体制が変わる中国の恐さを知っているので、自分の子供のことを思うと日本を選んだのだそうです。

黄河が町や村の農地を毎年流してしまうように、時代ごとに壊しては作り変えてゆく中国のエネルギーは、時として文化そのものを痩せ細らせてしまうことにもなるのかもしれません。

その点、日本は 外国からやってきた文化を貪欲に吸収し、蓄積して独自のものを育もうとしてきました。

守りの体制は、この国のよさを否定することになると思います。

在日外国人の人権をもっと大事にしてあげてもいいのではないでしょうか。


残留孤児が家族と再会したときの万感の想いというものは想像に余るものですが、臆面もなく作ってみました。

中央公園

2005年12月04日 21時44分00秒 | Weblog
       「時の彼方へ」 h-20cm 制作
じんけんフェスタこうち2005と言うイベントが中央公園で行われました。

朝からの冷たい雨にもかかわらず、雨天決行で実施しました。

仁淀川の小石や流木に絵描き体験するコーナーと このブログでもおなじみの石彫作品の展示を担当しました。

雨と寒気のおかげで寒さに震えながらのイベントで、人出もいまいちでしたが、石ころに落書きして行ってくれた子供達もいました。

池の中や歩道、ベンチの上とかにさりげなく展示させてもらいました。

石の作品は雨の中でも佳く見えるので、問題はないのですが、手元や足元が滑ったり冷たくて悴んだりで疲れました。

でもすごくいい感じで今日一日で終わってしまうのはもったいないように思いました。

今日来てくださった方には先日作った図録を差し上げました。
どうもありがとうございました。

アンパンマンショーやスリットドラム演奏、大道芸、紙芝居とさまざまな催しと、中華まんや手打ちそばなどおいしい物もあり、盛り沢山のイベントでしたが、今日のメインは、じんけんコンサート矢野絢子でした。

矢野絢子、ヴァイオリンの史香(ふみか)の他、「モナカ」時代のパートナー大久保和花も特別出演で内容の詰まった盛り上がりの最高の舞台でした。

高知県下最強の女3人組のパワーで晴れ間も覗きました。

出会いもありました。

「移動式写真展~人~」の川村公志(かわむらたかし)です。

自分の乗っている箱バンの周りに作品を展示しながら、日本一周の旅をしながら人や風景その他気になるものを撮影して来た展示でした。

写っている人の顔がみんな心を開いて笑っているのです。
出会って30分か1時間くらいで人はこんな顔を見せるのかと驚きました。
コップを撮ってもこの人の世界を感じさせてくれます。
どんな人なんだと話してみると、とてもさわやかな若者でした。
彼の友人の徳島のクリエーターの方ともネットワークしようという話になりました。

世紀末と呼ばれた1999年に未来への希望を託して作った作品です。

怒りの石

2005年12月03日 21時29分26秒 | Weblog
       「怒る石」 h-17cm 1998制作

人間活動の原動力である感情には、喜怒哀楽の4種類あるみたいですが、怒りのエネルギーがいちばん派手だし、物質的です。

悪くすると自分もまわりも破壊してしまうようなパワーがあります。
自爆テロが典型的ですね。

ゴマがパチパチ弾ける程度が望ましい怒りの姿でしょう。

怒りっぽい人は純粋です。

怒りは押さえ込まずに適当に発散すると、自分も家庭も社会も元気に成長するのです。

表面のヒビを感情表現に利用してみました。
激しい怒りは石をも砕く。
「チクショウーッ!!」
歯ぎしりの音、聞こえてきますか?

星になった少年

2005年12月02日 23時13分27秒 | Weblog
星になった少年        「象を想う人」 h-31cm 1998制作

象と話が出来る人の物語が映画でありますが、実話なのだそうです。

象はとても賢い生き物で、一頭一頭の個性もかなり強いという話です。

あの優しい目と、大きな体、ゆったりした動作、強い力、愛嬌のある人懐っこさ、忍耐強いキャパシティー・・・

そんな訳でか、動物園の中で一番好きな動物です。

この作品を見てまず人の顔が見えるかもしれませんが、髪の毛に気がつけば象のように見えて来るでしょう。

逆に始め象の方に目がとまれば、耳の下に人の顔を見るわけです。

多重するシリーズの最初です。

群れで生活しながら、孤高の尊厳みたいなものをたたえている象のようでありたいです。

男はクソジジイ

2005年12月02日 00時23分39秒 | Weblog
        「時の彼方より」 h-23cm 1999制作

いきなりですが、男というものは、年をとってしまえば どんなひとでもみんな「くそじじい!」になってしまいます。

おそらく同感してくれる方は多いと思います。

頭がいいと言われる人ほどその傾向が強いかもしれません。

永年の知識と経験の積み重ねと、物事に動じなくなったふてぶてしさ、更に 物が分かってきた割には思うように動けないもどかしさから来る苛立ちと頑固さ、そして茶目っ気、そんなものが合わさると「クソジジイ!」になってしまうのです。

これを読んでくださっている男性諸君、すでにクソジジイかその予備軍であることを自覚しましょう。

クソジジイであるためには、健康でなくてはなりません。

憎まれっ子は元気で世に幅からなくてはなりません。

持病の一つや二つは財産みたいなもので気にすることはありません。
上手に付き合えばいいのです。

クソジジイの天敵は、アルツハイマーと認知症です。

これに掛かってしまうとクソジジイ失格となり、家族と社会に大きな試練と啓発の機会を与えてしまいます。

予防としては、頚椎や背骨腰骨を柔軟に保つ体操をしたり、物をよく噛む習慣をつけておくことです。
そして生活習慣病には充分気を付けましょう。

皆さん、元気に立派な「クソジジイ!」になりましょう。
そして、女や子供たちを手玉にとる夢は最後まであきらめてはいけません。

女性の皆さん、ご安心下さい。
女は、年をとると、「クソババア!」にはなりません。

女は例外なく、「オニババア!」になります。
クソジジイは可愛くありませんが、オニババアは可愛くなることは出来ます。
皆さんも、どうせなら立派な 元気で可愛い「オニババ!」になってください。

マニュアルでしか動けない若い連中にだけ、世の中任していてはいけません。

世界平和はオニババアがまもるのです。
地球環境はクソジジイが守るのです。

思い知ったか!


「抱く手」

2005年12月01日 00時03分04秒 | Weblog
        「抱く手」 h-18cm 1999制作

朝からパソコンにかじりついて、じんけんフェスタ用の作品カタログを作っていました。

当日お配りしますので是非見に来てください。