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◇≪根城おもしろ講座≫に出席して!

2016-09-18 14:23:12 | うんちく・小ネタ

☆今日「八戸市史跡根城」主催の今年3回目歴史おもしろ講座に出席した。今回のテーマは中世の津軽〝北畠氏浪岡城〟である、定員100名ほぼ満員の参加者、講師は青森市の工藤清泰氏、スライドと資料を基に北畠氏と浪岡城について分かり易く説明して頂きました、今から500年前津軽為信が南部を制圧しようとしたとき、ちょうど波岡城を境にして戦をした時北畠氏が大活躍をした、青森県中世の歴史の基本は「遺跡」に有るとの事マップに基づき興味のある市民にとっては貴重なお話しで楽しかったです!!又、来年も企画されるようです。☆今日は朝8時半から中学の孫の野球新人戦で応援に行ってからの講座だったのでチョツト忙しかったです。

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4 コメント

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老いて更なる学習を!! (和泉の友)
2016-09-19 10:44:41
お孫さんの新人戦、応援にも力が入った事でしょう。溌剌とゲームに臨む雄姿に、誇らしくそして心も弾んだ観戦であった事と察する。歴史講演会、特に高齢者層にとって、最も興味を引く学びではなかろうか。戦国武将の勇士、公家社会の優雅な遊び、歴史は何時の時代でも人の心を揺さぶる。お互い今後も楽しい学びをしたいものですね。
N君からの投稿、いつも興味深くそして当時を回顧しながら拝読。佑川隆太郎先生、卒業後お会いする事もなく、退職後東京へ転居した事など仲間を通して知ったが、他の教科の先生同様、「一教師」と云う想いでいた。しかし初めて参加した東京でのクラス会で女性陣達曰く、進学、就職に当たっての良き相談者だったとの言葉に、頼られる教師であったことを認識した次第。思い出に残る教師と言えば、2年時に学んだ物理の工藤憲吾先生、「振動」を学ぶ授業中に作家山本有三の「波」を読んでの感想を述べられ、読書の楽しさが身に着くきっかけとなった事、また同じ2年生のときの数学を学んだ和久直樹先生(大学の先輩でもある)、授業後に出来の悪い小生に幾度も丁寧に教えてくれた事。同じ数学の竹園輝夫先生も印象に残る教師である。振り返ると高校時代の教師からの教えが、その後の人生に少なからず役立っている。これからも当時の出来事を紹介して下さい。



我が田名部高校の誇れる教諭 (3年A組NAKADA)
2016-09-20 20:36:56
現職時代監査部という部署に5年間在籍し営業店の法令遵守に関しての監査をしており職務柄、規定通りの監査をしていましたが退職後、ひょんなことから県の新任教職員の研修で法令遵守に関する講師を依頼され、臆面もなくにわか講師として講話をしたことがあります。
タイトル:ならぬものはなりませぬ。
会津藩校ー日新館の日常の基本的教えと記憶しています。
講話の中で維新後の青森県の教師の約50%は会津藩の子孫が占めていたこと
又その教えの根本的指導要綱の基となったのは「ならぬものはなりませぬ」であったと云うような事を話した記憶があります。又自分が田名部高校時代に教えを受けた先生の中にも会津の子孫の方が活躍している事も話した記憶があります。数学の竹園先生は正に清貧を真髄とする先生であったと自分なりに思っているところです。
受講した先生の卵に竹園先生のお孫さんがいたことにはビックリしました。早速私のことが竹園先生に伝わったそうです。
井戸向君から電話で数日後に連絡がありました。
私は会津の徳川家に忠勤した精神に薫陶を受け今ではちょっとした会津通になっています。
弾みますね。 (和泉の友)
2016-09-21 11:52:33
このブログの場をお借りして
N君からの発信にとても心が弾む。社会に出てから近年まで、教師、学友達の動向など知ることもなかった。貴兄から発信される一つ一つの出来事が、同じ学び舎で思春期を過ごした身として、教師、学友達のその後の様子が伝わって来る事に表現の出来ない感動を覚える。その感動は往時の懐かしさは勿論の事、大袈裟ではなく世のリーダーとして、あるいは指導者としての立場で、属する業界のみならず、他業種に渡って人間教育に尽力された人生に感銘受けている。誇れる過去、これからも紹介して欲しい。
「日新館」、我が勉強会で学んだ会津藩の教育から余計なことながら一筆。
食ってゆけるあてもない窮状の中で、田名部の地に藩校を設けた斗南藩士、旧会津藩の蔵書を持ち込み、更に困窮財源にあって洋書を加え、藩士だけの教育だけではなく、田名部に育つ子弟に広く開放された教育であった、と言う。農地の開拓は大半失敗、粗食に耐えながら少年期を過ごした後の東大総長となる山川健次郎、政治小説「佳人之奇遇」を書いた柴四朗、その弟の陸軍大将柴五郎、更には大阪市長となり近代都市としての大阪の祖型を作った池上四朗、多才な人材を輩出した藩の伝統が教師への路を選んだ理由ではなかろうか。わずか1年と少しほどの斗南藩のその後の営みは容易ではなかったが、教育への情熱は失うことはなかった。教育の重要さを思い知らされた次第。
ブログの主「川畑兄の思い出」 (3年A組NAKADA)
2016-09-22 07:22:53
川畑兄は冷静沈着、物静かな級友であった。
あまり多くを語らず内に秘めた向学の精神は他の級友にも何人かいたが、既に美学を持ち合わせている部分では大人の域に達していたと思う。彼の記憶にはないと思うが一日の教科の時間割が終え4時過ぎの夕方頃、夕陽の当たる2階の校舎の廊下に私は彼の視線がこちらを見つめている気配を感じた。1年生の頃であったと思う。彼との距離が隣の教室くらいの感覚があり離れていたことから会話はなかった.....。やがてお互い同じクラスになったが彼の美学は変わらなかった。
中間テストか期末テストか忘れたが英語のテストがありラッキーなことに80点には惜しくも届かず70点後半の成績で自分は有頂天になっていた。川畑兄は成績もよく英語も得意としていたように記憶している。級友の若狭昭男君も自信顔であった。どういうやりとりがあったか3人で帰ってきた答案用紙を見せ合うことになった。中田も若狭も自信があったが川畑兄の前ではお互い80点には及ばず撃沈したのである。忘れ得ぬ思い出です。貴兄の記憶にあればなお嬉しく思います。あの頃の美学はいまブログに垣間見ることが出来ます。体に気をつけて続けてください。

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