
やったー!
男二人で見に行ったのでフィルムもらえたお!
じゃんけんで負けたのでショボーンってなったけど
どんなフィルムか見た途端、友人が譲ってくれたお!
優しい友人が持ててムーはしわわせだおっおっ(^ω^)
何の場面かと言えば
ゆきたんの家のドアという超絶レアシーンな訳ですが、
別段サマーウォーズとハルヒに共通点つったらアニメだって事位なのになんで比較とか頭の悪い事をするかと言えば、俺が去年から外に見に行った映画って、これとエデンとゲバラ位なんですよ…
また上手い具合に脳内で二つが対称的なイメージで咀嚼されたので駄文を書き連ねます。
まず、サマーウォーズ。
隆盛した自動化社会は人間を疎外し機械と人間を対立させる、というターミネーターなりギーガ―なりが描いてきた近未来批判モティーフと田舎の大家族の中に放り込まれた主人公がラブラブコメコメするという萌系的モティーフを合体させるという、どちらもありがちなテーマながら合体させることで新鮮な物語にしてる映画。
大家族が主眼に置かれているので、出てくる登場人物はほとんど同じ家系の人。ただ、兄の妻やら叔父の息子やら何やらで、出てきた人間の相関関係はあまり覚えてないです。
で、そうしてキャラがいっぱい出てくるにも関わらず、どんどんイベントが発生するので、あまりキャラが覚えられず、それぞれの印象が薄い。
確かにすごく面白かったです。ですが、主人公を男子高校生にしたのに、したのに。
ジュブナイル、つまり少年の成長物語という要素があまりに弱い。
冒頭、先輩が恋人の振りをしてくれ、どっちでもいいからとお願いするシチュエーションの気恥ずかしさ。じゃんけんで勝利することでその役を勝ちとる主人公。
ここで既にフラグ、一本のストーリーが見えちゃってる訳です。
大変なイベントが発生→意外な勇気・男気を見せる主人公→先輩「きゃーすてき!好き!」
せっかく田舎の名家のほのぼのした人間関係をリアルに描けてもパーですよ!
周りの状況全てがその主人公のラッキーっぷりを擁護する言い訳になっちゃうんですから!
それで最終的に主人公が見せる強さっていうのは元からカンストしてる能力。
結局、能力と状況が重なっただけじゃねぇか。ラッキースケベがっ!
映画開始後の主人公と終了後の主人公に「変化」が見受けられないのです。空気のくせに良い目を見る主人公、という感じで説得力が足りず、今一歩な印象だったのです。
いや、面白いんですよ。
でも、面白要素を詰め込み過ぎて、主張が薄れちゃった残念さ。
テレビアニメでやったらもっと名作に成り得たなぁと思いました。
消失。
見てすぐ、ということもあるので去年見た映画と比べれば不公平とも思いますが。
消失、ってことで、ある朝起きたら大事な友達の存在が物理的・意味的に消えていて、自分だけがそれを覚えているという話。
こっちも主人公が男子高校生なんですが、主人公は主演であると共に、語り部なのです。つまり、物語は回想のスタイルを取ってます。
しかし、この男、現実に居たなら確実に嫌がられる。いつも皮肉な表情・語り口で、何をするにも「やれやれ」、むっつりスケベで、なんでも人よりちょっと上手くこなせる、という。
原作ありの強みとは、そこからはみ出せない代わりに、既にしっかりとした基盤が存在しているということ。つまり、設定の矛盾を考える必要が無い為、脚本と設定が過不足無く融和するという点にあると思います。例え、劇中に登場しない前説明があっても、原作で補完してくれ、という言い訳が出来るのです。だからこそ、設定説明を省略して本筋に移行しても違和感が少ない。しかし、それは逆に原作未読者への不親切な導入になる恐れがある。
消失はそこの説明・導入のバランスが非常に良くて、本筋に必要なシーンは回想を用い、本筋とは関わりない設定部分は台詞に登場するに留めて、テンポを損なわないように気を付けていました。
肝心の本筋ですが、
タイトルにもなっている「涼宮ハルヒ」というトラブルメーカーの女の子が起こすイベントに嫌々、受動的なスタンスながらも、全てきちんと付き合ってる主人公。
「余裕」「上から目線」「許容力」がある事を抑制しながらも、そんな自分が大好きな人間なのです。
実はこの作品世界ではハルヒは自覚の無い神であり、無自覚に思考を現実世界に反映させるという壮大なトラブルメーカーなのですが、彼女の願望が呼び寄せた「未来人」「宇宙人」「超能力者」と連携を取る事で、その力を借りてハルヒの起こす事件を解決するのがこれまでの主人公だったのです。
事件が起きる→解決しないと世界滅亡級の危機→嫌々ながら主人公が動く
というのがハルヒシリーズの流れなのですが、本作では映画の初めの方で「神たるハルヒ」が存在しなくなります。神が存在しなくなるので、未来人も宇宙人も超能力者も無かった事になる。
果たして、それは自分の求めていた平和な毎日なのか?
概して人間は羨望する生き物です。
自分の状況を把握するのは本当に難しい。客観的視点を手に入れるのは「客」、「他人」が存在するからこそ。
他人の状況と自分の状況を比較し、「あいつの方が俺よりいい状況じゃないか?」と羨むからこそ、自分の状況が見えてくるのです。
だからこそ、「失って初めて大切なものに気づく」という大変愚かな文言が生まれちゃう訳です。
この主人公は受動的に事件に巻き込まれるのが常でした。
「やれやれ、またか。」
しかし、自分が主体的に行動を起こさなければこれまでの世界が無くなる。
自分の居た世界が普通は手に入れられない超魅力的な世界だったことに気付くのです。
無論、世界変革系(パラレルワールド、タイムリープ、記憶からの抹消、セカイ系等)には以前・以後の間にもっと絶望的な差があるものがたくさんありますが、物語の面白さを決める点はそこではなく、「主人公がいかに力強く自分の意思で以後の世界を勝ちとるか」という点にあると思うのです。
その点、この主人公の意識の変化するシーンは非常に分りやすく、熱く、かっこいいシーンでした。シモン(兄貴は死んだ!もういない!)やうしお(俺たちは今太陽と戦っている!)並み。
あと、勝ちとる際に使われる能力について。
これは主人公だけが操縦できるロボットだったり、世界を作り変える能力だったりまぁどうしても主人公補正のかかる力ですが、本当にそれを使いこなすには作中で様々な成長を必要とします。
しかし、サマーウォーズでそれにあたる主人公の数学能力、作品が短期間の話のせいもありますが、元から劇中トップクラス。言い換えれば、その主人公が絶対的に必要だった訳ではなく、数学能力のおまけとして主人公が付いてきた、感。
対して、消失での主人公はだいたい適当になんでもこなせるけど、決め手は何も無し。
事件に対して翻弄される事で、自分には何の能力も無い事を自覚する、つまり無知を知ることで、自分が今為せる最大限の行動を思いつくのです。「消失」を通して、主人公の内面ははっきりと成長する。そのはっきりと成長した感じが見えず、サマーウォーズはひどくご都合主義的に見えちゃうのです。
「事件」を通して、「少年が精神的に成長する事」。
創作物に様々なタイプがあるのは勿論ですが、伸びしろのある人間を主役に据えるというのは、いかにその伸びしろを変化させるかがその創作物の魅力を決定する要因だというのはちょっと暴論ですか。
等身大のはずのヒーローが超人的な活躍をするのも勿論楽しい。
けれども等身大のヒーローが等身大の成長をするのはもっと楽しいと思う。
なげー。
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