いさりきblog

ブログのタイトルを色々考えたけど、めんどくさいので、本名をタイトルにしてやった。

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うつ病雑考

2006-01-10 10:21:10 | こころとからだ
去年はうつ病に祟られた年だった。

まず、近親のものがうつ病にかかり、その看病に追われた。
年末には自分もうつ病を発症した。
これはどうにか二度の発症のみで、その後は押さえ込んでいるが、不眠症は治らない。

このブログを開設するにあたり、うつ病に関していつか書こうと持っていたが、それはもう少し落ち着いてからのことだと思っていた。
しかし、それから2ちゃんねるやメンタルヘルス系の掲示板などを見回ってみて、今考えていることは、今書いておかないと、落ち着いてからでは書けなくなってしまうと思い直し、とりあえず、現状のうつ病に関する雑考を書いておくことにした。

まず、自分が発症したときのことについて。

その時は、仕事と看病疲れが極限まで溜まっていて、おまけにショックな出来事が発生した。
「泣きっ面に蜂」
まさにこれである。
ただ、ショックな出来事が発生した当初は、意外と冷静なものだったのだが、それから時間が経つにつれて、だんだんと頭の中がネガティブになっていった。
そして、2日目の夜には脳みその中に、自分の本来の意識とは違う別の意識が表れ始め、「彼」は僕に「このまま死んでしまえ」と訴えかけるようになった。
ほうっておいて、寝ようとすると「彼」は僕の頭の中でどんどん大きくなっていく。
これはまずいと思い、とりあえずうつ病に理解がありそうな友人に片っ端から電話を掛けて事情を説明し、「彼」が消えるまで気持ちを紛らわせることになんとか成功した。

ここでわかったのは、うつ病の怖さとは自分自身の喪失だ、ということである。
死の恐怖もまた、自分の意識の喪失が根本にあるのだとすれば、うつ病との闘いは、死との戦いと同義であると、知った。

二度目の発症はもっとひどかった。
僕は電車に乗っている最中で、しかも電車は携帯電話の電波が届きにくい山中を走っていた。
時刻は昼間である。
友人たちはみな仕事の最中で、誰が僕の話に付き合ってくれるかわからない。
それ以前に、言葉を発しようとしても、まともな口を聞く能力もなくなっており、電話でいきなり狂人が話し始めたら、友人もさすがに適切な対応はできないだろう。
さらに、人目が気になって座席におとなしく座っていることもできず、デッキのトイレでうずくまっているのがやっとだった。
あのとき車掌に助けを求めていたら、間違いなく車掌は電車を緊急停止させて、僕はそのまま病院送りにされていたはずである。
これはさすがにダメかと思ったが、事前にメールで事情を説明しておいた友人と連絡を取ることができ、この友人の励ましで、なんとか助かった。

この友人には、感謝してもしきれない。
こんな臭い言葉はいやなのだが、これを読んでいる人は、少なくとも信頼できる友人を何人かは持っておいたほうがよい。
遊び仲間とかは多くても、本当に困った時に逃げずに手を貸してくれる友人というのは、みんな意外と少ないのではないだろうか。

しかも、この友人は事情があって疎遠になっていたのに、今年に入って偶然が重なって連絡を取るようになった仲だった。
具体的なことはまた別の機会に書くとして、この「偶然」には何か神がかり的なものを感じた。

これが自分のうつ病体験である。
あとは、ずっと不眠続き。
内科で最初に処方してもらった「マイスリー」という睡眠薬では、3時間ほどで目が覚めてしまう。一睡もできないよりましといえども、日常生活を送るには、かなりきつい。
そこで、「レンドルミン」という薬に変えてもらって、なんとか5時間ほど眠れるようになった。
ただ、症状が改善しなければ、心療内科の門をたたかないといけないというのが、今の僕の状態だ。

そして、近親のものがうつ病にかかった際の看病のことについて。

これは、今になって思うと全然力になってあげられなかった、というのが今の素直な気持ちだ。
まるで、足を挫いて休んでいる人に、
「お前は歩き方が悪いから、足を挫いたんだ。今から歩き方を勉強しなおすから、さぁ立て」
みたいなことを、何度かしてしまった。
これは、ひどかった。

これも、具体的なことは、それこそかなり落ち着いてからでないと書けないと思う。

とりあえず、今書きたいことを書いておく。

今うつ病の人、これからうつ病になる人に対して。

今のあなたの苦しみは、一時的なもので、必ずなおる。
骨折して骨が痛んでも、その骨はやがてくっつき、痛みは治まり、ギブスに固定されていたために縮んだ筋肉も、すぐに元に戻る。
うつ病も同じ。
苦しみは時間が経てば消え、休んでいた間に失くしたものもすぐに取り戻せる。
だから、取り乱しては、いけない。

周囲の人たちに助けを借りることは結構だが、無理を言っては、いけない。
友人ならばきっと、あなたの苦しみを紛らわすために、励ましの言葉をかけたり、愉快な話をしてくれるだろう。
もう少し親しい友人ならば、苦しい時は一緒に泣いてくれるかもしれない。
恋人なら、だまってあなたを抱きしめてくれるだろう。
でも、それ以上のことは、できない。
あなたの苦しみに関して、周囲の人と分かち合ったり、理解させたりはできない。
だから、自分の苦しみをそのまま言動に移しては、いけない。
でも、あなたは一人じゃない(はずだ)し、助けてくれる人を大切にすれば、うつ病から切り抜けた先も明るいはず。

周りの人がうつ病になってしまった人に対して。

うつ病は、なってみないとわからない。
うつ病に関して、いろんな情報は手に入るが、僕がそれらを理解したのは、結局、自分が発症した後のことだった。
わからないことをやろうとしているのだから、大抵、失敗する。
でも、後悔が残らないように、やれることは全てやっておいたほうが良い。
そうすれば、結果はどうあれ、受け入れられる、と思う。

いま、うつ病に関して書きたいことは、以上。

きっと、時間が経ったら、今僕が上に書いたことは、僕自身で否定してしまうと思う。
ただ、これらのことを書いておいて、ネットで公開して、別に損は無いので、とりあえず晒しておく。
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