趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
武蔵野競技場前
祝!! 20,000アクセス達成!!
昨年9月に立ち上げて以来、本日20,000アクセスを達成いたしました。これはひとえに、皆様方の拙ブログに対する暖かいご支援の賜物と存じます。今後ともよろしくお願いいたします。
昭和29年の国鉄営業局発行の鉄道線路図を見ますと、何やら、中央線の三鷹駅から「ふいっ」と“ひげ”のような線路がでています。
これは中央線の支線である通称「競技場線」という路線で、それは悲劇な区間でした。
「日本国有鉄道百年史」によりますと、1951(昭和26)年4月14日、武蔵野市緑町に開設された国鉄スワローズのホームグラウンドである武蔵野競技場への旅客輸送のために引かれた、営業キロ3.2キロ、所要時間約6分の路線でした。
競技場への旅客輸送用という性質から、競技開催日のみ運転となっており、第1回目の輸送は同年5月5日の対国鉄名古屋戦で、6対3でスワローズの勝ちであったそうです。翌6日には対巨人戦が行われ、7対5で連勝をおさめ、幸先が良いスタートのように思われました。
しかし、当時はまだ「三鷹」という場所は都心から遠くて不便であり、武蔵野競技場は1シーズンのみとなってしまい、競技場線は休止状態(殆ど放置状態)となり、1959(昭和34)年11月1日に廃止されてしまいました。
当時のきっぷを探しておりましたところ、武蔵野競技場駅が記載された、昭和28年8月に制定された車内補充券の見本券が出て参りましたので御紹介いたします。
付近を拡大いたしますと、国分寺から分岐していた通称「下河原線(東京競馬場線とも呼ばれていたらしい)」と仲良く並んで線路が記載されていることがわかります。実際には中央線を挟んで競技場線は北側へ、下河原線は南側へ延びていたので実際の線路の並びとは異なりますが、この方が無駄が無いので実態にあわせてレイアウトされたのだと思います。
この見本券、その他にも駅名の改称などで、現行の駅名と違うところがいくつかあります。
例えば浅川駅は現在の高尾駅、与瀬駅は現在の相模湖駅です。
また、下十条駅は現在の東十条駅、原町田駅は現在の町田駅です。
事由欄も現在とはひと味違ったものがあり、「乗換」「換越」「換方」「換経」「誤購求」「下級換」など、使われていない用語もかなりあります。
話は戻りますが、競技場線は廃止されてから48年の年月が経過しておりますが、その線路敷は今でもはっきりと残っており、至るところに線路の境界を示す「工」の文字の入った杭が残り、玉川上水を渡る鉄橋跡にはコンクリート製の橋台も残っています。
じい~っときっぷを眺めているのも楽しいですが、たまには外に出て散歩するのも良いものです。
水浜軌道様のブログ「海辺のきっぷ館」1月9日エントリーの『泡沫(うたかた)の駅「終着駅その2」』に武蔵野競技場から東京電環ゆきの硬券が出ていますのでトラックバックさせていただきました。
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53年前と現在を比べますと、私鉄の駅名改称も多いですね。
下の拡大画像の範囲で拾いますと、
大和町→和光市
田無町→ひばりが丘
北所沢→新所沢
入間川→狭山市
豊岡町→入間市
狭山湖→西武球場前
多摩湖→西武遊園地
多摩墓地前→多磨
多磨霊園→白糸台
金子→つつじヶ丘
上石原→西調布
車返→武蔵野台
東八王子→京王八王子
代田二丁目→新代田
と、この画像だけでも14箇所にのぼります。
なお、この地図には記載漏れとなっているようですが、西武拝島線(当時は上水線)の小川~玉川上水が昭和25年に開業しており、この区間には、青梅橋→東大和市が存在いたしますので、実際には15箇所あった事になります。
昔の地図を見ていますと、現在のあまりの違いに興味は尽きません。確かにご指摘のように拝島線が欠落しております。この地図は貨物業務用に国鉄が発行した業務用の線路図ですので、直接業務に影響のない部分についてはいちいち修正を加えていなかったのかもしれません。この地図を詳しく見ていますと、同じような例が他にも全国各地にあったような気がします。