へそ曲がりの真っ直ぐ日記Ⅱ

反日の中韓と国内の反日マスコミを斬る

日本とベトナムの仲…独立戦争で共にフランス軍と戦った残留日本兵たち

2015年12月15日 | 報道・ニュース

浅学のため、ベトナムにも独立のために戦った日本兵がいたことを知らなかった。この記事で読んだ。
【正論】歴史共鳴する日越の連帯強化を ジャーナリスト・井上和彦
http://www.sankei.com/column/news/151211/clm1512110001-n1.html

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪独立のために戦った元日本兵≫

 もう一つ、日本ではあまり知られていない日越交流秘話がある。1945年8月15日、大東亜戦争が終結しても、なお約800人の日本軍将兵がベトナムに残り、その多くがベトナム独立のために、インドシナ支配を再びもくろむフランス軍と戦ったのである。

 同年9月2日、ベトナム民主共和国の独立を宣言したホー・チ・ミンは、日本軍の兵器の譲渡を求め、残留日本軍将兵らにベトナム人指揮官の養成を願い出た。

 かくしてベトナム中部クアンガイに、グエン・ソン将軍を校長とする指揮官養成のための「クアンガイ陸軍中学」が設立された。この学校は、教官と助教官が全員日本陸軍の将校と下士官というベトナム初の「士官学校」であった。

 クアンガイ陸軍中学は、ベトナム全土から選抜されてやってきた青年が、実戦経験豊富な日本人教官から日本陸軍の戦術をはじめ指揮統制要領を学んだ。

 フランス軍は目を疑ったに違いない。少し前まで非力だったベトナム人が、見違えるように強くなり、しかも見事な近代戦を挑んできたのだから。

 現代ベトナム軍の基礎は旧日本陸軍によって作られたのである。そして元日本兵が最前線でベトナム人を率いて戦った。第1次インドシナ戦争ではフランス軍との戦闘で多くの日本人が戦死している。中には、その後のベトナム戦争でアメリカ軍と戦った者もいたとみられている(『世界に開かれた昭和の戦争記念館』展転社)。・・・・・・・・・■

インドネシア独立のために戦った残留日本兵の話は有名だが、ベトナムのことは、恥ずかしながら初めて聞いた。wiki<残留日本兵>にはこう書かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%8B%E7%95%99%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5

ベトナム[編集]
詳細は「ベトナム独立戦争」を参照
ベトナムでは700人から800人の日本兵が残留し[5]、ベトナム独立戦争中の1946年に設立されたクァンガイ陸軍中学などいくつかの軍事学校で旧日本陸軍将校・下士官による軍事教育が行われた。ベトナム独立戦争に参加して戦死した旧日本兵には烈士墓地に顕彰されているものもいる[6]。


ちなみにインドネシアの説明はこうだだった。
インドネシア[編集]
詳細は「インドネシア独立戦争」を参照

第二次世界大戦終結後、インドネシアでは日本軍から多くの武器が独立派の手に渡り、再植民地化を試みたオランダとの間に発生したインドネシア独立戦争では、旧日本軍将兵が独立軍の将兵の教育や作戦指導するとともに、自ら戦闘に加わるなどした。戦後、インドネシアでは多くの元日本兵が独立戦争への功績を讃えて叙勲されている。

インドネシア残留日本兵が作った互助組織「福祉友の会」は、日本に留学する日系インドネシア人学生に奨学金を与えるなど、日本とインドネシアの架け橋としての役割も果たした。元残留日本兵は、毎年行われるインドネシアの独立式典にも呼ばれているが、死亡したり、高齢で体調が悪化したりなどで参加者は減っていき、2014年の式典には1人も参加できなかった[1]。


<戦前・戦中、日本が大東亜共栄圏、東亜新秩序を打ち出していたことから、欧米からのインドネシア解放・独立の為にインドネシアの独立戦争に参加し、インドネシア人と「共に生き、共に死す」を誓いあった者>も多かったという。

第一次大戦後に組織された国際連盟に加入した日本は「人種差別撤廃」を訴えた唯一の国だった。大東亜戦争はアジアの植民地からの独立を促した、と言われるが、独立戦争に参加して戦い、戦死した日本兵もたくさんいたのである。これは中学高校の歴史では全く教えられていない事実だろう。だから、社会人でも知らない人が多いと思われる。歴史の味方はバランスが必要である。

ついでながら、残留日本兵は中国にもいたことも知られている。
中国[編集]
中国大陸では、残留日本軍が非軍人の在留日本人とともに多数が国民党軍や共産党軍に参加し、国共内戦を戦った。山西省では国民党軍に軍人・非軍人合わせ約2600人の日本人が参加し、終戦後も4年間にわたり戦闘員として戦った(中国山西省日本軍残留問題)。また、八路軍支配地域では旧日本陸軍の飛行隊長を始めとする隊員300名余りが教官となってパイロットを養成した(東北民主連軍航空学校)。


ともに独立のためフランス軍と戦った歴史もあって、ベトナムには親日家が多く、対日感情がすこぶるいいという。井上氏はこう書いている。

ベトナムが日本への憧憬を抱いたのは日露戦争に遡(さかのぼ)る。日露戦争での日本の勝利が、植民地支配に苦しむアジアの人々を奮い立たせ、独立の機運を生んだのだ

 当時のベトナム独立運動家だったファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は、ベトナムの人々に「日本に行き、そして学べ」と呼びかけ、ベトナム人の日本留学運動である「東遊(ドンズー)運動」が始まった。

 かくして多くのベトナム人が日本に渡り、それと同時にハノイには「東京(トンキン)義塾」がつくられ、近代化教育が施された。

 ところがインドシナを統治するフランスの圧力によって、日本政府は在日ベトナム人を帰国させることになった。それでもベトナム人の日本への憧れは潰(つい)えることがなく、いまでもホーチミン市にはドンズー通り、ファン・ボイ・チャウ通りなどがあり、日本との強い絆の記憶が語り継がれている。
・・・・・・・・・・・・
ベトナムの日本への親近感は、アジアで両国だけが強大なアメリカを相手に戦い、そして現在は、東シナ海と南シナ海で軍拡著しい中国とそれぞれ対峙(たいじ)するなど、安全保障上の共通点に因るところも大きい

 13世紀に遡れば、日本は2度の「元寇」を経験したが神風によって国難を切り抜けた。2度目の弘安の役(1281年)の後、元は1285年と1288年に大越(ベトナム)に来寇した。ところが英雄チャン・フン・ダオ(陳興道)が元軍を見事に撃ち破ったのである。ダオはベトナムの危機を救ったが、同時に、日本に対して3度目が計画されていたとされる元寇を断念させたのだった。日本は、ベトナムに救われたともいえるのである

 日本とベトナムの関係は冷戦期に一時、冷え込んだこともあったが、互いに共鳴し合う歴史を歩んできた。その両国が安全保障分野での緊密化を図ろうとしている。日越両国の防衛協力は、緊張高まる地域の平和と安定に大きく貢献することになろう。いまこそ、日越の連帯強化が急務である。(いのうえ かずひこ)■

奇縁ともいえる歴史的な関係である。

中谷元防衛相は11月6、ベトナムのフン・クアン・タイン国防相とハノイで会談し、南シナ海の要衝、カムラン湾の海軍基地に海上自衛隊の艦船を寄港させることで合意した。ベトナム軍との初の海上訓練実施も確認した。スプラトリー(中国名・南沙)諸島で人工島を造成する中国を牽制する狙いである。

また日越のつながりが強化されたのである。

独立戦争と言えば、インドについてのこんな記事もあった。昨年1月の同じく井上氏の執筆である。
<【賞賛される日本】中韓と異なるインドの歴史観と「インパール戦争」の評価
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140128/frn1401280736000-n1.htm

■首都デリーの中心部には、大東亜戦争においてインド国民軍を指揮して日本軍とともにインパール作戦を戦ったインド独立の英雄、スバス・チャンドラ・ボースの銅像が建つ。ボースは、かつての英国植民地支配の象徴であったレッド・フォート(赤い砦=ムガル帝国時代の城塞、英国軍が大本営として接収した)の方角を指差している。

 さて、インパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとして批判にさらされてきた。だが、この作戦の本質は、日本軍約7万8000人とインド国民軍約2万人の日印連合軍による“対英インド独立戦争”である。この作戦があればこそ、戦後、インドは独立できたのである。

 事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、「対英独立戦争」と位置づけている。日本軍はインド独立を支援した解放軍である。インドは「日本が侵略戦争をした」という歴史観は持っていない。

 インド解放のために英国軍と戦った日本軍将兵に対し、元インド国民軍大尉で、全インドINA事務局長、S・S・ヤダバ大尉は1998年1月20日、こう記した。

 《われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するためにともに戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して、もっとも深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命をささげた勇敢な日本将兵に対する恩義を、末代にいたるまで決して忘れません。われわれはこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます》(靖国神社)

大東亜戦争後の45年11月、英国はインパール作戦に参加した3人のインド国民軍の将校を、レッド・フォートで裁判に掛け、反逆罪として極刑に処そうとした。この事実が伝わるや、インド民衆が一斉に蜂起して大暴動に発展した。結果、もはや事態収拾が不可能と判断した英国はついにインドに統治権を返還した。47年8月15日、インドは独立を勝ち取ったのである。

 インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残している。

 《太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない》
 インドで英雄としてたたえられている日本人のことも紹介しておこう。その名は誰あろう東條英機元首相である。

 2006年3月19日、カルカッタのチャンドラ・ボース記念館で「東條英機に感謝をする夕べ」が催された。そこには、チャンドラ・ボースの甥嫁であるクリシュナ・ボース館長に招待された、東條元首相の孫娘、東條由布子氏の姿があった。

 そして、われわれ日本人が絶対に忘れてはならないのが、大東亜戦争後、日本にすべての戦争責任をなすりつけた極東軍事裁判で、裁判の不当性を訴えて日本人被告全員を「無罪」と主張したインド代表のラダビノート・パール判事である。

 いかに韓国や中国が、史実をねじ曲げた“歴史認識”を振り回して、日本に罵詈雑言を浴びせても、インドはこれに真っ向から異を唱え、日本を擁護してくれている。

 アジアは中国・韓国だけではない!
 アジアには親日国家・インドがいる!■

アジアだけではない。親日国は世界中にある。南北朝鮮、中国を除くすべての国が親日か親日的と言ってもいいのではないか(もちろん例外もあろうが)。朝日などの反日マスコミが、何かにつけ「中韓」の反応をアジアの声として伝える報道姿勢が著しく偏っているのである。
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こんな人が、友達といえるかな① (元大船高校森茂樹)
2015-12-16 08:03:34
産経ニュースより抜粋

米バンダイを提訴 人種差別とベトナム系男性
2015.6.10 12:49
http://www.sankei.com/world/news/150610/wor1506100024-n1.html

職場で人種差別を受けたなどとして、バンダイナムコホールディングスの米現地法人に勤務していたベトナム系米国人の男性が9日までに、同現地法人や日本人の上司らに対し損害賠償などを求める訴訟を米カリフォルニア州の地裁に起こした。請求額は明示していない。

訴状によると、男性は2010年6月から同現地法人で勤務していたが、上司から「米国人は事業の仕方が分からない」「日本は真珠湾をもう一度攻撃すべきだった」などの侮辱的な言葉を投げ掛けられたと主張。

自分も含めた職場の外国人は日常的に上司らから言葉や身ぶりでばかにされたり、会議への参加や、仕事に必要な書類を見ることを認められなかったりしたとしている。男性は14年3月に突然雇用契約を打ち切られたという。

バンダイナムコホールディングスは「係争中なのでコメントは控えたい」としている。(共同)
こんな人が、友達といえるかな② (元大船高校森茂樹)
2015-12-16 08:06:07
外国人技能実習生、労災とまらず千人超 過労死手続きも
小林孝也 2015年7月13日17時24分
http://www.asahi.com/articles/ASH784WBYH78OHGB00D.html
政府が受け入れ拡大を図る外国人技能実習生の労災事故が、2010年に労働環境に配慮し制度が見直された後も増えており、13年度に初めて1千人を超えた。東海3県が上位を占め、岐阜では異例の過労死認定へ手続きが進む。

実習生の受け入れ団体や企業を指導する国際研修協力機構(JITCO)のまとめでわかった。機構が把握する労災事故は1993年度の制度導入から受け入れ拡大とともに増え、13年度は1109人に達した。

13年度に労災事故にあった人の国籍はアジアに集中し、中国705、ベトナム156、インドネシア118、フィリピン86。都道府県別では愛知が129と最多で、三重71、広島64、岐阜60、大阪58と続き、東海3県をはじめ製造業が盛んな地域が目立つ。

長時間残業による実習生の過労死も出ている。茨城県のめっき加工会社に勤めた31歳の中国人男性の過労死を、労働基準監督署が10年に認定。厚労省が統計を取り始めた11年度以降の認定はないが、朝日新聞の取材では、岐阜県の鋳造会社で働き27歳で心疾患で急死したフィリピン人男性の認定へ手続きが進んでいる。

JITCOは受け入れ側に「日本語の理解や作業上の危険情報の不足が原因で労災が起きたケースもある」と配慮を求めている。
こんな人が、友達といえるかな3 (元大船高校森茂樹)
2015-12-16 08:07:40
「日本の印象が悪化」 低賃金労働など背景 ベトナム人技能実習生調査
2015.7.29 09:19
http://www.sankei.com/life/news/150729/lif1507290014-n1.html

技能実習に来て日本の印象が悪化-。外国人技能実習制度に参加するベトナム人を対象にしたアンケートで、こんな結果が出た。劣悪な生活環境や低賃金労働などが背景とみられ、調査した龍谷大(本部・京都市)のベトナム人留学生グエン・ヒュー・クィーさん(27)は「両国関係に深刻な影響を与えている」と指摘している。

アンケートは平成26年10~11月、ベトナム人実習生100人以上にメールなどで依頼し、38人から回答を得た。その結果、97%(37人)が来日前の日本の印象を「とても良かった」または「まあまあ良かった」と回答したが、来日後の印象では58%(22人)と、約40ポイント減少。来日前は一人も選ばなかった「印象はあまり良くない」は37%(14人)に上った。

自由記述では「給料が安い」「単純作業ばかりで帰国後の就職に役立たない」など待遇や労働内容への意見の他、「自由がない」「狭い部屋に大人数で住まわされる」といった生活環境の不満もあった。
こんな人が、友達といえるかな4 (元大船高校森茂樹)
2015-12-16 08:08:20
ベトナム市場、日本の建設業「品質過剰・不要」 国交省調査
2015/8/4 19:54
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS24H5W_U5A800C1PP8000/

国土交通省の国土交通政策研究所は、ベトナム市場での日本と韓国の建設業を比べる調査を行った。同市場で韓国勢の受注は日本勢を圧倒する。日本の技術力や品質は高く評価される一方、「過剰・不要」とみられている実態が分かった。

ベトナム政府機関に聞き取り調査した。同国では過去6年の実績で、日本勢の受注額が韓国勢の2%にとどまる。韓国の建設業に対しては「技術力・品質は必要十分な水準で、価格も合理的」と評価が高かった。

自国市場が小さく国をあげて海外展開への意欲が強い韓国勢は、小規模なプロジェクトを含め、幅広い案件を獲得する特徴がある。一方、日本勢は日本政府の資金支援がある大型の政府開発援助(ODA)案件を重視し、小規模な案件には消極的とみられている。

国土交通政策研究所は日本勢が各国の需要に見合うように技術力や品質を維持しながら低コスト化を進めることを提案している。
関係改善への努力 (へそ曲がり)
2015-12-22 15:52:32
私が書いたことも事実なら、あなたの書いたことも事実でしょう。要はせっかくの親日国・ベトナムとの良好な関係をどう維持、発展させていくのか、ということ。障害物を取り除く改善努力が必要なのです。

「こんな人が、友達といえるかな」などと喜んでいても何も始まりません。

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