小説: 湘南ラピスラズリ

湘南、鎌倉を舞台にした純情ラプソディー/絵を書くことが大好きな高校生の、甘く切ない恋の詩

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第8章 シルクロード

2012年02月17日 10時41分31秒 | 小説

第8章 シルクロード

 純太は、誕生日が憂鬱だった。純太を祝ってくれたのは、家族ぐらいだった。
 亜美は、根岸と一緒に過ごしていると思うと、やるせない思いだった。
 さらに、間の悪いことに、純太の十七歳の誕生日に、日本の大平首相が死んだ。
 個人的には、めでたいはずの日なのだが、国家的にはめでたくない日となり、テレビのニュースは暗いムードに沈んでいた。

 数日の間、大平首相が急死したニュースが、世間を賑わせた。
 純太は、そのニュースを耳にして日本の一大事かと思ったが、数日暮らしてみて分かったことは、日本の首相が死んでも何も変わらないという事だった。
 そう、それは、誕生日が過ぎても、生活は何も変わらないのと同じように。

 誕生日から数日経った日の昼休み、天気が良かったので、純太は、中庭に向かった。
 天気の良い日には、校舎の中庭で昼食を食べる生徒が多い。
 その日も、多くの生徒が中庭で弁当やパンを食べていた。
 生徒の中には、大流行していたウオークマンで音楽を聴きながら食べている人もいた。
 ウオークマンを持っていない純太は、彼らが羨ましかった。
 純太は、中庭の芝生の一角に胡坐をかいて弁当を食べた。
 海苔たまの振り掛けのご飯を、ゆっくりと咀嚼した。
 おかずには、大好きな薩摩揚げとエビフライが入っていた。


 弁当を食べ終えると、弁当箱を枕にして、短く刈り込まれた芝生の上にゴロンと寝転がった。
 芝生は、陽射しを吸い込んで温かかった。
 芝生から生えたネジバナが花を咲かせていた。
 薄桃色の花が螺旋状に咲き上っていた。


 横になり目を閉じた。
 まどろみの中に亜美の笑顔が浮んできて、麗らかな陽光を浴びたように、心がポッと温かくなった。
 青空を渡る羊雲のように、亜美の顔が絶え間なく過ぎって行く。
 その内、心地よい午睡の誘惑が純太を浚っていった。

 気持ちよく寝ていると、急に鼻がくすぐったくなって、大きなくしゃみと共に目が覚めた。
 目の前に本物の亜美の顔があって、上から純太の顔を覗いていた。
 隣に知佐子もいた。
「ごめん、ごめん。ちょっと、これで悪戯してみたんだけど、思ったよりも効いたみたいね」
 亜美は、手に持った芝の葉先で、鼻をくすぐる真似をした。
「せっかく、気持ちよく寝てたのに…」
「ごめんね、仁科くん。でも、やっぱり、馬みたいに、鼻をモゾモゾしてたよ」
 亜美が朗らかに笑いつつ、謝った。
 午睡は邪魔されたが、亜美に謝られるのは悪くなかった。
「実はね、ちょっと、相談したいことがあるの」
「何?」
「先ずは、これ、聴いてみて」
 亜美は耳に装着していたウオークマンのイヤホンを、純太に手渡した。

 耳に当てるとシルクロードの音楽が聴こえてきた。
 砂漠の風と共に舞い降りた天使が奏でる笛のような音色だった。
「幾多郎のシルクロードだね。いつ聴いても、いいね」
 純太は呟いた。
「敦煌の風景が、脳裏に浮かんでくるでしょ。いつか敦煌へ行って、本物の莫高窟を見てみたいわ」
「うん、僕も行ってみたいよ。き、…」
 君と一緒にというフレーズも入れたかったが、照れ臭くて言えなかった。

「所で、仁科くん。クラスデコの作業中に、教室でシルクロードの曲を流したいんだけど、どう思う?」
「いい、絶対に良いよ。みんな、この曲を耳にしたら、シルクロードに夢を馳せて、壁画を描く気持ちが高まると思うよ」
「じゃあ今日の放課後から始めてみようかな。今度、仁科くんにもダビングしてあげるね。それじゃ、またね」
 亜美と知佐子は、は手を振りながら中庭から出て行った。

 その日の放課後は、教壇に置かれたラジカセから、シルクロードの音楽が流れ、、皆の頭の中に哀愁と幻想を漂わせた。
 クラスメートの反応は良好で、皆、音楽を適度に聞き流しながら、真剣に作業に取り組んでいた。 
 その日から、純太は、漆喰(しっくい)のキャンバスに下書きを始めた。
 真っ白で巨大なキャンバスに、薄く柔らかい輪郭を描いて行った。
 仏像を中心に沿えて、飛天(ひてん)や伎楽天(ぎらくてん)、雷神や不死鳥、阿修羅などを、曼陀羅(まんだら)のように描いて行った。

 


 次の日は、唐代の壁画を下書きした。
 唐代の壁画は、経変が多かった。
 経変というのは、仏教の経典を絵画化したもので、言わば仏教のビジュアルな教材だ。
 かつては、僧侶が説法を行う際、民衆が理解しやすいように、経変を見せながら説法を行った。
 敦煌の経変には、人物表現が詳細に描き込まれていたので、下絵を描くのは非常に神経を使った。
 全ての下書きを終えるまでには、数日を要した。


 メンバーに色使いなどを指示しながら、一緒に描いていたが、唐代の壁画は、繊細な技術が要求された。
 そのため、美術を選択している知佐子と純太が色塗りも担当することになった。

 


 知佐子には、阿弥陀如来図を描いてもらうことにした。
 知佐子もその絵が気に入ったらしく、一生懸命に描いていた。
 阿弥陀如来図には、ラピスラズリで極楽浄土が描かれていた。
 阿弥陀は雲上にあり、左右に天女を侍らせ、その周りを、嬉々とした飛天たちが羽衣を靡かせて舞っていた。更に天界の縁に並ぶ天女たちは、地上界に向けて花びらを撒いていた。
 見ているだけで、楽しい音色が聞こえてきそうな情景だった。
 極楽という字の如く、楽しみを極めていた。
 仏頂面した仏様しかいない日本とは違って、天性の明るさがあった。


 


 アジサイ寺の和尚に教えてもらったのだが、阿弥陀と言うのは極楽浄土にいる仏のことで、その名前を呟きさえすれば、全ての衆生を救ってくれるという仏だ。
 寛大というか、無計画というか、兎に角、迷える子羊には有り難い仏様だ。

 何故、日本の仏画は、真面目腐って、湿っぽいのだろうか?
 坊主のお経も濁声で陰気臭い。
 独特なリズムでドスの効いた声は、死者の魂を天国に導いていると言うよりは、あの世へ無理矢理追い出しているといった印象を受ける。
 いずれにしても阿弥陀如来図は、垢抜けていた。
 西域の人々は、青空の向こうにこそ、天国があると信じていたのだろう。


 純太は、敦煌の中で、最も美しいと言われる樹下説法図の菩薩の絵に取り組んでいた。
 その美しさに目を奪われ、どうしても自分の手で描きたいと思った。

 


 純太は、クラスデコのメンバーが壁画を描いている間、色彩がおかしくならないように、全ての絵をチェックした。具合の悪い箇所を見つけると、その都度、絵の塗り方のコツを教えたり、修正を加えたりした。
 メンバーのフォローに時間を取られてしまい、自分が担当していた絵に、あまり時間を割けなかった。
 そのため、メンバーが帰ってから、一人教室に残って絵を描いた。
 しかし、巡回の先生が回ってきて、教室から追い出されてしまうので、仕方なく家に帰った。

 そんな消化不良の日が何日か続いた。
 純太は、秦に許可を貰って、壁画を美術室に持ち込んだ。
 美術室なら、見回りの先生が来ても、秦も居残りで絵を描いているので、追い出される事もなく絵に没頭できた。菩薩を描くことに夢中になり、帰宅は深夜になった。
 菩薩は、金色で彩られた冠を戴き、西域の宝石が散りばめられた首飾りや腕輪といったアクセサリーで着飾っていた。
 そして、その背後には、神々しく何輪もの後光が輝いていた。
 絵筆を握っている時はいつも、亜美を思い浮かべていた。
 純太にとって、菩薩は亜美だった。いつの間にか、亜美をモデルにして菩薩を描いていた。

 第8章 終了

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