小説: 湘南ラピスラズリ

湘南、鎌倉を舞台にした純情ラプソディー/絵を書くことが大好きな高校生の、甘く切ない恋の詩

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

第7章 ニキビ顔 

2012年02月17日 10時41分45秒 | 小説

第7章 ニキビ顔 

 純太は、美術室で油絵を描いてから、校舎周辺をプラプラと散策した。
 校門の左右に二本の大きなソテツがあった。
 樹齢が古く、幹周りは太く、樹皮は荒々しく竜の鱗を連想させた。
 温暖な湘南地方では、ソテツを庭に植えている家が多い。

 屋上の真下にある校舎の横に、首塚岩と言われる不気味な巨岩があった。
 鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞(にったよしさだ)が、黄金の太刀で切り取った鬼の首を晒したという伝説の岩だった。
 高校を建てる際に、掘り出して動かそうとしたらしいが、工事関係者が相次いで怪我や病気をし、祟りがあるということでそのままになった。
 純太は、高校入学以来、高校の周囲の風景をスケッチしたが、その岩だけは不気味な感じがして一度も描かなかった。


 高台にある校舎の背後には、鬱蒼とした常盤の樹木が生い茂っていた。
 森では椎の花が盛りだった。
 色も匂いも栗の花に似ていた。
 森の方から、時々、カケスの濁った鳴き声が聞こえてきた。
 精液にも似た椎の花の匂いに堪りかねて、グィー、ガァーと文句を言っているようだった。

 純太は、スケッチブックを担ぎ、自転車に乗って高校の近くにある小動岬(こゆるぎみさき)に向かった。
 途中、江ノ電の踏み切りで、電車が通るのを数分待った。
 岬の展望台には夏椿が咲いていた。
 白い花弁と黄色い葯の色合いが綺麗だった。
 花は、大きな野薔薇のようで気品があり、樹皮は百日紅のように斑に剥がれていたが、乙女の肌のようにスベスベしていた。
 展望台から江ノ島が見えた。
 その背後には、富士山が聳えていた。純太は、その風景を無心でスケッチした。



 日が傾き始めたので、純太は、スケッチを止めて、自転車を走らせてアジサイ寺に向かった。
 裏口から入り、寺の玄関を開けて呼び鈴を押した。
 しばらくすると、若い坊主が出て来た。
「こんにちは。何でしょうか?」と怪訝そうに言った。
「徳庵和尚は、いらっしゃいますか?」
 純太は聞いた。
「はぁ、住職に何か御用ですか?」
「ちょっと、聞きたい事があるんです」
「そうですか、では、ちょっとお待ち下さい」
 若い坊主は、不思議そうな表情で奥へ下がった。
 数分後、袈裟をまとった和尚がいそいそとやってきた。
「誰かと思ったら、落書き小僧か。それで、聞きたい事とは何じゃ」
「弥勒菩薩って何ですか?」
「ほう、珍しい事もあるもんじゃ。不信心のお前が、仏教について質問するとは、どんな風の吹き回しだ。明日は台風でもくるかな」
「実は、今、学祭で、敦煌の壁画を書いているんです。それで、いろんな仏様が出てくるんだけど、よく分からないんで、聞きに来たんです」
「敦煌の壁画かぁ。それならば、お前の落書きも少しは世の役に立つかも知れんのう」
 和尚は皮肉を言って片頬を上げて笑った。
「弥勒菩薩は、ブッダが死んでから五十億年ぐらい経ってから、仏の世界からこの世に降臨して、人々を救うという菩薩さまだ。分かりやすくいえば救世主じゃな」
 和尚は言った。
「五十億年後?そんな未来には、人類は滅亡しているんじゃないですか?弥勒菩薩が救済に現れても、誰も居ないんじゃ意味ないじゃないですか」
「確かにそうだな、どうせ救ってくれるなら、わしが生きている内に現れて欲しいもんじゃ」と笑った。

「所で、菩薩って何ですか?」
 純太は尋ねた。
「悟りを求める人じゃ。つまり、悟りを求めようという心があれば、人は誰でも菩薩ということだ。と入っても、弥勒菩薩などの信仰の対象になっている菩薩は、格の高い菩薩という位置づけにある」
「何を持って、格が高いっていうんですか?」
「悟りの段階じゃよ。弥勒は、悟りの段階が最終段階に入っていて、次に転生したときは、如来となって生まれ変わると言われておる。だから、来世は如来として、つまり、救世主として生まれてくるという訳だ」
「如来っていうと、阿弥陀如来とかの如来ですか?」
「そうじゃ」
「如来の壁画も描くつもりなんですが、そもそも如来って何ですか?」
「如来とは、悟りを開いた者、つまり、仏と同じ意味じゃ。ちなみに、阿弥陀如来の信仰が盛んになったのには訳があるんじゃ。阿弥陀如来は、極楽浄土に住み、人間が臨終する時に、迎えに来てくれると信じられている。だから、仏画などで、阿弥陀如来のいる極楽の絵が描かれたのじゃ」
「へぇ、さすが和尚。よく知ってますね。観光客から拝観料をぼったくってるだけかと思ってましたよ」
 純太は生意気な口をきいた。
「何じゃと、全く失礼な小僧じゃ。わしは、これから法要がある忙しい身なんじゃ、もう時間がないから、行くぞ」和尚は振り向いて、奥に歩いていった。
「ありがとうございました」
 純太は、和尚の背中にお辞儀をした。

「所で、アジサイの花が、何故、美しいかは分かったか?」
 和尚は、立ち止まって背中を向けたまま聞いた。
「分かりません。この世に、花が存在するからですか?」
「違うわい、馬鹿たれが。色即是空の真理も分からぬか」
「別に僕は、坊主じゃないですから、そんなの知らないでも生きていけますよ」
 純太はむきになって言った。
「じゃが、それを悟らないようでは、いい絵は描けんぞ」
「そんな事知らなくても描けますよ」
「ふん、生意気な事を言いおってからに。では、一つだけヒントをやろう。お前は、今、好きな女子はいるか?」
「べ、別に、それは和尚には関係ないでしょう」
「声が上ずった所を見ると、いるのう」
「まぁ、いますけど…」
「お前の性格だと、どうせ告白も出来ずに、ウジウジと片思いをしているんじゃろう」
「全く腹立つなあ」純太は舌打ちした。
「図星じゃな。何故、お前は、その女子が好きなのかを考えてみれば良い。そうすれば、何故、アジサイの花が、美しいかが分かるじゃろう」
 和尚は、足早に廊下を歩いて奥の部屋に消えていった。

 純太は、海岸通りを自転車で走って帰路に付いた。
 夕日を眺めながら、どうして亜美が好きなのだろうと、考えてみた。
 可愛いから、愛想がよいから、活発だから、と理由を考えてみたが、はっきりしなかった。
 結局、好きになってしまったから、好きなんだという答えしか出なかった。


 次の日の朝、純太は、高校の自転車置き場で亜美に声を掛けられた。
「おはよう、仁科くん」
 亜美は前髪をかき上げた。
「おはよう」
 純太は挨拶を返した。
「昨日は、敦煌莫高窟の写真を見せてくれてありがとう」
「いやいや、あれぐらい、たいしたことないよ」
「ふーん、そんな事言って良いのかな、秦先生のでしょ。チクっちゃうよ」
「えー、それは困るよ。何ていうのかな、その言葉の綾というか…」
「冗談よ。そんなことするわけないでしょ」
 亜美が、純太の首筋に顔を寄せてきた。

 純太は、ドキッとして思わず歩みを止めた。
 亜美は、鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。
 純太の首筋に、ゾクゾクとした快感にも似たくすぐったさが走った。
「ほんのりと、油絵の匂いがするね」
 亜美は、黒髪を朝日に照らしながら微笑んだ。
「昨日、亜美ちゃんたちが帰ってから、油絵を描いていたんだ」
「それで匂ったんだね。今日もやるの?」
「いや、今日からは、敦煌の下書きを始めようと思っているんだ。だから、当分、美術部の絵は中止だね」
「色々と迷惑かけてごめんね」
「迷惑なんかじゃないよ。敦煌の壁画を描けると思うと、ワクワクしてしょうがないくらいだよ」
「本当?私に巻き込まれて迷惑してるんじゃない?」
「そんな事はないよ。正直、誘ってくれて嬉しかったんだ」と言うと、急に照れくさくなった。
「仁科くんって、可愛いね?」
「可愛い?ニキビ顔のこの僕が?」
「うん、そう」と頷いた。
「そんな事、最近、親にも言われたことないよ」
「仁科くんは心が可愛いのよ」
「心?」
「そう、心よ。そりゃ多少、ニキビは多いけど。高校生にもなれば、誰だってニキビはあるよ。それに、顔だって悪くないし、もっと自信持ちなよ」
「そ、そうかな」
 純太は、照れて頭をかいた。


「そうよ。元気出して、今日の放課後も宜しく頼むわね。私たちのクラスデコは仁科くんに、かかってんだから」
「うん、頑張るよ」と大きく頷いた。
 その日の放課後、純太は、教室の見取り図を描いて、どの場所にどの絵を描くかという事をみんなに説明した。
 教室の入口に、弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)をドーンと描いて、その後には、インドと中国の神々を散りばめる。


 教室中央には、唐代の壁画を並べる。
 敦煌一、美しいと言われる樹下説法図(じゅげせっぽうず)。


 そして、阿弥陀如来図(あみだにょらいず)に描かれたラピスラズリの天界と、美しい飛天(ひてん)たち。
 更に、極楽浄土図の中から、反弾琵琶(はんがんびわ)を演奏する飛天たち。
 ちなみに、反弾琵琶というのは、琵琶を背負いながら弾き踊ることで、ジミー・ヘンドリックス顔負けの荒業だ。
 上半身裸の美しい乙女が、首飾りや腕輪をして踊ったり、楽器を奏でたり。男にとっては将に、極楽~極楽~と呟きたくなるような世界だ。

 出口付近には、西夏王(せいかおう)、ホータン国王、曹氏の夫人などを描くことにした。
 また、来場したお客さんが絵の意味が分かるようにという意図で、壁画に関する簡単な説明書きを付ける事にした。
 



 話合いの場に、根岸の姿はなかった。
 彼は、今日も野球部の練習を口実に、学祭の準備をサボっていた。
 純太にとっては、根岸と亜美がいちゃつくのを目にするよりは、いない方がありがたかった。
 しかし、亜美が、必死になってやっているのに、根岸の身勝手な行動は理解できなった。
 純太は、亜美の願いを、叶えてあげたいと切実に思っていた。
 根岸は、好きな人が喜ぶ顔が見たいと思わないのだろうか?純太は不思議でならなかった。
 嫉妬と不信が入り混じり、日を追う毎に、純太の心の中には、苛立ちが募っていった。
 不満をぶちまけたいのは山々だったが、亜美へ気を使って、腹に収めておいた。

 構図が決まってから、皆で手分けして資材調達を始めた。
 純太は、ホームセンターへ行って、ベニヤ板や角材、漆喰粉(しっくいこ)や絵具などを買い集めた。
 先ず始めに、教室の壁一面に掲げる大きなキャンパス作りを行った。
 ベニヤ板の裏を角材で補強したキャンバスを何枚も作った。
 それらが完成した後に、男性陣で漆喰作りを始めることにした。


 作業当日の昼休み、純太は、根岸の所へ行った。
「今日の放課後に、クラスデコで使う漆喰を男子だけで作るんだ。だから、今日はサボらないで参加して欲しいんだ」
 純太は、努めて明るく話した。
「はぁ?何で女たちは手伝わねぇんだよ」
「漆喰って、アルカリ性が強いんだ。だから皮膚に付くと爛れたりする危険があるんだ」
「マジかよ。そんな危険な作業は、俺だってやりたくねぇよ」
「危険だから、男子だけやるんだよ。それに、防護するためのマスクやメガネ、手袋もあるから大丈夫だよ」
「ふん、第一、何で漆喰なんて必要なんだよ。いらねぇじゃん、そんな物」
「壁画を再現するために、漆喰を塗ってから絵を描くことにしたんだ」
「馬鹿馬鹿しい。適当に写真貼り付けておけばいいじゃん。漆喰なんて止めちまえ」
「そんな事、今さら言うなよ。皆で話し合って決めたんだ。材料だってもう買ったんだ」
「そんな下らねぇアイデアを思いついたのは、お前だろう」
「確かに、発案したのは僕だけど…」
「だったら、お前が責任を持ってやるんだな」
「責任持ってやってるから、こうやって頭下げてお願いしてるんだよ。漆喰は、直ぐに乾燥してしまうから、捏ねた日のうちに、使い切らないといけないんだ。だから、今日中に全部のキャンバスに塗らなきゃいけないんだよ。ただでさえ、デコ班は男子が少ないんだから、今日ぐらいは協力してよ」
「分かってないようだから、はっきり言ってやる。そんな漆喰塗りなんて馬鹿げた作業に付き合うつもりは全くない。もし、手がただれて、投球できなくなったらそれこそ大変だ。それに、もし顔に付いたら一大事だぜ、たくさんの女が泣くことになるからな。俺の顔は、お前の汚いニキビ面とは違うんだよ。お前の面だったら、少しぐらいただれても平気だろう」
 根岸は、見下したような目で純太を見た。

 純太は、その言葉にカチンと来て、一歩詰め寄って言った。
「今の一言は酷いんじゃないか?」
「何だ、文句あんのか。やるか、こら」
 根岸はメンチを切って、純太を睨みつけた。
 純太は、大きく溜息を吐いて根岸から視線を外した。
「別に僕は喧嘩をしに来たんじゃない。もういいよ、お前には頼まないよ。クラスメートの事を考えないで、自分勝手に野球ばかりやってればいいさ」
 純太は捨て台詞を残して、根岸に背を向けて去った。
 純太は悲しかった。
 何故、あんな男が、亜美の恋人なんだ。
 確かに、身長は高くてスポーツマンで美男子だ。
 だけど、我が侭で、傍若無人で、口も悪くて、他人の事を顧みない酷い男じゃないか。
 亜美への接し方を見ていても、亭主関白で、亜美に対する優しさが微塵もない。

 結局、根岸は漆喰塗り作業には現れなかった。
 作業の終了が、日暮れまでに間に合わないかも知れないと溜息が漏れた。
 しかし、秦に相談したら、助っ人で参加してくれた。更に、美術部員の海老名たちも手伝ってくれた。
 お陰で、作業が捗って、何とか日暮れまでに完了することが出来た。
 結果的には、やる気のない根岸の何倍もの戦力になった。
 もし、根岸がイヤイヤ参加していても、ああだ、こうだと文句を言って、みんなのヤル気を阻害していただろう。
 そう考えると、根岸がいなくて良かったと純太は思った。

 第7章 終了

 → 第8章 シルクロード へ


 執筆の励みになります。
 面白かったな、続きが読みたいなと思われた方は、クリックして頂けるとありがたいです。
 ↓ 
人気ブログランキングへ


 WEB版へのリンク(第8章)

『神奈川県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第8章 シルクロード | トップ | 第6章 敦煌の歴史 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

小説」カテゴリの最新記事