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無価値な言葉に用心しなさい・・・聖書

2018年02月18日 | 日記

 

「無価値な言葉に用心しなさい」


無価値なものには言葉も含まれます。

例えば,神はエレミヤにこう言われました。
「預言者たちがわたしの名によって預言していることは偽りである。
わたしは彼らを遣わしたことも,彼らに命じたことも,彼らに語ったこともない。
彼らは偽りの幻と,占いと,無価値なものと,その心のたばかりとをあなた方に預言として語っているのである」。

(エレミヤ14:14)

それら偽りの預言者たちは,神(ヤハウェ,エホバ)の名によって語っていると主張しましたが,

実際には自分の考え,つまり自分の知恵を広めていたのです。
ですから,その言葉は「無価値なもの」で役に立たず,霊性を大いに脅かすものでした。
そのような無価値な言葉を聞き入れた多くの者たちは,西暦前607年,バビロンの兵士たちの手にかかって殺されてしまいました。

 

 

それとは対照的に,モーセはイスラエル人にこう述べました。
「わたしが今日警告として話しているすべての言葉にあなた方の心を用いなさい。……それは,あなた方にとって無価値な言葉ではない。
あなた方の命を意味し,あなた方はその言葉により,ヨルダンを渡って行って取得する地で自分の命の日を長くするのである」。

(申命記 32:46,47)

モーセの言葉は神の霊感を受けたものでした。
ですから,その言葉はイスラエル国民の幸福にとって価値があり,まさしく不可欠なものでした。
それに注意を払った人たちは長い命と繁栄を享受しました。
わたしたちも,無価値な言葉を常に退け,価値ある真理の言葉に固く付きたいものです。



今日でも,無価値な言葉を聞くことがあるでしょうか。
あります。
例えば,ある科学者たちは,進化論や他の分野での科学的発見からすれば,もはや神を信じる必要はないとか,すべては自然の作用によって説明できる,と主張します。

わたしたちはそうした尊大な言葉を気にすべきでしょうか。
もちろん,気にすべきではありません。
人間の知恵は神の知恵とは異なります。
「しかしわたしたちは,円熟している者の間では,知恵を語る。この知恵は,この世の者の知恵ではなく,この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。
むしろ,わたしたちが語るのは,
隠された奥義としての神の知恵である。
それは神が,わたしたちの受ける栄光のために,世の始まらぬ先から,あらかじめ定めておかれたものである」。

(コリント人への第一の手紙 2:6,7)

言うまでもなく,人間の教えが神の啓示された事柄と相いれないとき,間違っているのは例外なく人間の教えのほうです。

『決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても,神は真実な方であるとすべきです。
「あなたは,言葉を述べるとき,正しいとされ,裁きを受けるとき,勝利を得られる」と書いてあるとおりです」』。
(ローマ 3:4)
確かに,科学は幾つかの分野で進歩してきましたが,人間の知恵に対する聖書の評価は,今でも正しく,当を得ています。
「この世の知恵は神にとっては愚かなもの」なのです。

だれも自分を欺いてはなりません。もし,あなたがたのだれかが,自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら,本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。

この世の知恵は,神の前では愚かなものだからです。
「神は,知恵のある者たちを,その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり,
また,「主(神)は知っておられる,知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。

ですから,だれも人間を誇ってはなりません。すべては,あなたがたのものです」。
聖書(コリント人への第一の手紙3:18~3:21)



神の無限の知恵に比べれば,人間の論議は無駄なものです。




無価値な言葉の別の例は,キリスト教世界の宗教指導者の間に見られます。
それらの人たちは神のみ名によって語ると主張しますが,その発言のほとんどは聖書に基づいておらず,基本的に価値がありません。
背教者たちも無価値な言葉を語ります。
任命された「忠実で思慮深い奴隷」よりも自分のほうが知恵があると主張するのです。
「主人が一家の上に立てて,定められた時に食物を与える忠信で思慮深い奴隷は,だれであろうか。
主人が来た時,そのように行なっているのを見られる奴隷は幸いである。
まことに,わたしはあなたがたに言う,主人は彼に自分の全財産を管理させるようになる」。
(マタイ 24:45~47)

しかし,背教者は自分の知恵を語っているのであり,その言葉は無価値で,それに耳を傾けるどんな人にとっても,つまずきのもとになります。
「また,イエスは弟子たちに言われた,「つまずきが起こることは避けられない。しかし,つまずきをもたらす人は災いである。
これらの小さい者の一人をつまずかせるよりは,石うすを首にくくりつけられて,海の中に投げ込まれるほうが,その者にとってましである」。
(ルカ 17:1,2)



では,どうすればそうした言葉に惑わされずにすむでしょうか。


「愛する者たちよ,霊感の表現すべてを信じてはなりません。
むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。多くの偽預言者が世に出たからです」。
(ヨハネ第一 4:1)